Up サル・モンベツ──海沿い (松浦武四郎第6回蝦夷地調査(1858)) 作成: 2018-11-29
更新: 2019-01-27


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      松浦武四郎 (1870), pp.127-130
    サルブツ〔佐瑠太〕
    (川幅七十餘間、遅流深し)
    當場所、此川筋の土人を用ゆる故惣名とす。
     ‥‥
    少々下りてモンベツ〔門別〕
    (川幅七間、橋有)
    名義、静川の義、又モベツにして小川とも言。
    越て會所元なり。
    海岸通りは、境目より沙濱、上の方赤崩平、流木多く甚歩行難し。
    (二十九丁)
    ビラトルナイ (小川)、
    ブユンチシ (昔岩窟有りしと云)
    ブユンは穴、チシはチセにて家の事也。
    風波の時過り難しと。
    古老の傳に、太古南方神の國より女神一人虚船に来て(ここ)に来り住玉ひしに、何處よりか一匹の犬来り、此神に(なれ)近きて、心有氣(ありげ)に日々木の實・(くさ)の實又は魚等を取来り供奉しけるが、不思儀なる哉、何時となく此神后孕み玉ひ、多くの御子達を産玉ひしが、此國内を知ろし召玉ひしと浄瑠理(ユウカリ)に有る由(註)
    又村上檍丸(あおきまろ)が蝦夷奇観〔蝦夷島奇観〕に、昔しシツナイ〔静内〕と言處と有、是フツナイの誤り哉、フユンチシナイをフツナイと結びたるかと思はる也。
    依て此場所は蝦夷地第一創業の處とぞ語る。
    (さて)其岩崩の下過て (七丁)、
    サルブト (川口) 過て (廿二丁半)、
    シノタイ (漁や有)
    名義、シノは至る、タイは山の事也。
     ‥‥
    セウリウシ(平場)
    享和元(戌)年迄シノタイに義經社有しを(ここ)に移し、又近年會所元に移す也。
     ‥‥
    過てモンベツフト〔門別川口〕
    ‥‥ 此處會所元と成たり。
     ‥‥ サル〔沙流〕會所 (勤番所、通行や、板くら、漁屋、馬や、大工小屋、鍛冶や、土人雇小屋)
    人別 (交政五改、千ニ百十五人。安政三改、千三百廿餘人) 多く、
    産物、(いわし)・昆布・鮭・海鼠(なまこ)鮫殻(さめのから)(たら)雑魚(ざこ)多し。
    濱形巳午(みうま)向、(そうじ)て平濱船懸なし、沖積也。
    小山の中腹義經社 (御丈一尺貳三寸) 合殿辨天、傍に天満宮・蛭子(ひるこ)社。
    また畑多し。
    元松前家々臣小林某給所。
    (ころ)は運上屋サル〔沙流〕の川端に有しを、文化二(丑)年此處え移す。
    然に呑水無故、山より(かけい)を以て取用ゆ。
    廻舶箱館より寅卯風にて出、酉戌にて入津す。
    土地至て肥沃なり。



     註 : 村上島之允 (1800),「八 女神窟居圖」



    引用文献
    • 松浦武四郎 (1859) :『東西蝦夷山川地理取調図』
    • 松浦武四郎 (1870) :『東蝦夷日誌』
      • 吉田常吉[編]『蝦夷日誌 上 東蝦夷日誌』, 時事通信社, 1984.
    • 村上島之允 (1800) :『蝦夷島奇観』
      • 佐々木利和, 谷沢尚一 [注記,解説]『蝦夷島奇観』, 雄峰社, 1982