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松田伝十郎 (1799), p.167-169
[テシホ (天塩)]
一、此所は大川あり。此川をテシヲ川といふ。
水源はソウヤ持モンヘツ(モンベツ) 地名 川に續くといふ。
此川縁に住居の夷人多し。
十日路も登りて夷人を集め、春鯡漁中はトママイ(苫前) 地名 持ヤンケシリ(焼尻島)、テヲレシリ(天賣島)といふ小嶋二嶋あり、此しまへ出稼す。
一、此所運上屋 是は支配人,番人等の居所にして御役人も止宿す。 前に古川あり。
海岸へは三町程隔り、後は山續きにて良材多く、船具、家木にさし支なし。
材木出し方辨利といふ。
一、此所産業とするは鮭漁にて、鯡漁中は隣場所へ出漁をなす。
運上屋まへ古川に蜆澤山にて通行の賄にす。
此所の名物なり。
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[トママイ (苫前)]
此所は打開き土地も暖にして野蔬 (野菜) 等もよく熟し、大根などは本邦に替る事なし。
運上屋 是は支配人,番人等の居所なり。 通行家 通行の泊り所なり。 板蔵 是は飯米其外漁具等を入置く蔵なり。 夷家も多く、和人、夷人とも大勢にて殊に此節は鮭漁の最中ゆへ別して賑ひしなり。
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[ルルモツヘ (留萌)]
此所、前は海岸澗内にして大船の繋場能、又川ありて小舟の出入さわりなし。
後は山續きにて打聞き、土地もよろしく、暖地にして野蔬もよく出来、運上家、通行家其外板蔵、漁小屋、夷家等も多く、土人も多くあり、和人、夷人大勢居て、殊に此節鮭の漁中ゆへ別して賑ひ、今日の漁事は一網に鮭千束 貳十本を束といふ。 も入しを引揚しと語る。
一、此所産業とするは鯡、鮑、煎海鼠、鮭を漁する大場所なり、ゆへに運上高金なり。
一、山々良材多く、船具、家木自由にして、雑木多し。
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[マシケ (増毛)]
一、此所、前は海岸澗内にして大船の繋場よろしく、此海岸小砂利にて砂濱なり。
後は山に添ひ打開き良材多く、船具、家木にさし支なし。
川ありて小船の出入障りなし。
材木の出し方辨利といふ。
一、此所産業とするは鯡、鱈、鮑、煎海鼠、鮭を漁し大場所なり。
運上も高金にして出産物多し。
其外雑魚多く、春はホッケ 此魚はいしもちに似て大振りなり。 といふ魚,澗内に夥しく入込み、是を漁して〆粕になし出荷物とす。
一、此所は西地一番の暖地にして、野蔬類、菜、大根等もよく出来、本邦に異なることなし。
ゆへに凌ぎよく、御役人越年所と定め,年々越年あり。
詰合の居所は運上屋一棟にて間どりあり。
其外板蔵、漁小屋、夷家も多く、土人多し。
此節は鮭漁中にて賑ひしなり。
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引用文献
- 松田伝十郎 (1799) :『北夷談』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.77-175
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