Up 「アイヌモシリ」 作成: 2017-03-04
更新: 2017-03-09


    "アイヌ" のうちに, 「北海道はアイヌの地だ,われわれに返せ」を唱える派がある。
    彼らは,このキャンペーンのキャッチコピーに「アイヌモシリ」を用いる。

    「アイヌモシリ」の語の出処は,つぎのような「Ignacio Morera」の引用である:
      高倉新一郎『蝦夷地』, 至文堂 (日本歴史新書), 1959
    p.7
     天正十八年十二月、蠣崎慶廣が豊田秀吉に謁見のため京都に上った際には蝦夷を伴っているが、たまたま在京したポルトガルの宇宙学者イグナシオ=モレイラ (Ignacio Morera) はそれらから、蝦夷は蝦夷人によってアイノモソリと呼ばれていること、その北方にはレブンクルという地方のあることを聞いた。
    アイノはアイヌの自称で man の意味、モソリはアイヌ語のモシリで島、アイヌモシリとはアイヌが住む島の意である。
    レブンクルは恐らく樺太を指したものだろうが、レブンはアイヌ語で沖、クルは同じく衆の意で、沖の衆の意である。 今日の礼文島がこの意味である。
    すなわち蠣崎氏の配下に属した蝦夷は、アイヌ語を使い、自らアイヌと呼ぶ人々だったのである。

    ただしこれは,《蝦夷は蝦夷人によってアイノモソリと呼ばれている》の意味にはならない。
    「アイノモソリ」を言った者は,蝦夷の外に出て自分の棲んでいる土地を問われた者である。
    そしてこの問いに答えるのに,「アイノモソリ」の表現をつくった。
    これは,《蝦夷は蝦夷人によってアイノモソリと呼ばれている》ということではない。
    高倉の「アイノはアイヌの自称で man の意味、モソリはアイヌ語のモシリで島、アイヌモシリとはアイヌが住む島の意である」も,解釈のし過ぎである。


    北海道はアイヌの地だ,われわれに返せ」キャンペーンに「アイヌモシリ」を用いる者は,「アイヌモシリ」を「和人の地」の対義語にしていることになる。 (この論法だと,「和人の土地」は「シサムモシリ」ということになる。)
    そこで,「アイヌモシリ」ということばが,このようなことばとして本当にあったのかというはなしになり,上のような出処のはなしになるわけである。

    実際,ことばのロジックでいうなら,「アイヌモシリ」は「カムイモシリ」の対義語である。
    「あの世」に対する「この世」であり,「神の国」に対する「人の国」である。

    また,「アイヌモシリ」の対義語となるべき「和人の土地」は,アイヌ語にはならない。
    なぜなら,アイヌには「土地が人に所属」の概念が無いからである。
    アイヌ語になるとすれば,「和人の土地」ではなく「和人の国」であり,そしてそのアイヌ語は「シサムコタン」である。
    では,「シサムコタン」の対義語は「アイヌコタン」かというと,そうはならない。
    「アイヌ」は,アイヌの類概念 (アイヌの全体集合をカテゴリー化する概念) ではないからである。
    「アイヌ」は,あくまでも「人」がこれの意味である。
    「神」の対義語であって,「和人」の対義語ではない。

    「アイヌモシリ」は,《意味不明の「アイヌ語」を持ち出し,これをキャッチコピーにする》の類である。
    「イランカラプテ」も,これである。
    民族派"アイヌ" は,ひとが知らないのをいいことに,ことばをひとり歩きさせる。
    こうなるもとは,民族派"アイヌ" が自分を「アイヌ」と思っていることである。
    「アイヌ」を少しは知っていると思っていることである。
    そこで,聞きかじったアイヌ語(?) を,堂々とヘンテコに使ってしまう。


    もちろん,「アイヌモシリ」のことばがどうのは,瑣末な問題である。
    そもそも,おおもとの「北海道はアイヌの地だ,われわれに返せ」が,内容を伴わないただのスローガンである。
    実際,「アイヌの地」の具体が立たない。
    「われわれ」の具体が立たない。
    「返せ」の具体が立たない。

    要点 : 「アイヌモシリ」,「北海道はアイヌの地だ,われわれに返せ」は,イデオロギーである。