「アイヌの土地を返せ」は,空虚なことばである。
空虚であることは,具体的にこのことばを発するとき,わかる。
翻って,「アイヌの土地を返せ」は,これの中身を思考停止している者が言えることばである。
このことをよく示してくれるのが,貝沢・萱野/二風谷の場合である。
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萱野茂 : <二風谷ダム建設収用地に関する収用委員会審理陳述>(1988)
本多勝一『先住民族アイヌの現在』, pp.211-262.
pp.216,217
その昔、北海道というこのでっかい島を、アイヌ民族が自分たちの国土として豊かに暮らしていた時代にどのように呼んでいたかと言えば、「アイヌモシリ」と言っていました。
「アイヌ」という意味は「人間」、「モ」というのは「静か」ということです。
「シリ」というのは「大地」という意味であります。
したがいまして、アイヌは自分たちの国土をアイヌモシリ、「人聞の静かな大地」と呼び、だれにはばかることなく自由に暮らしていたのであります。‥‥‥
このでっかい島北海道を日本国ヘ売った覚えも貸した覚えもないというのが、心あるアイヌたち、そしてアイヌ民族の考え方なのであります。
もし日本政府がアイヌ民族から北海道を買ったというなら、買い受けたという証拠になる文書なり証人なりを出してほしいです。
借りたというなら、借用書を見せてほしいものであります。
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貝沢正「三井物産株式会社社長への訴え」(1991)
『アイヌわが人生』, 岩波書店, 1993. pp.186-194
pp193-194.
以上に述べてきたような経過で三井は日高沿岸の木を伐りつくしてしまいました。
前にも書いた三井の信条として「儲けるために社会を犠牲にしてはいけない」などとうまいことを言いましたが、明治末期から昭和にかけては、北海道を植民地として略奪をほしいままにしたのです。
沙流川沿岸の広葉樹は200年、300年単位でなければ用材として用を成しません。
それを小径木まで伐採した罪は大きいと思います。
しかも、伐った跡地を自然のままに撫育するのなら200年後に復活するかも知れませんが、人工林で針葉樹に金をかけて植林する愚を繰り返しています。
税金のがれの目的で保安林に指定させたり、造林には金をかけないため農林中央金庫からの低金利融資を得たりして、かつてのような略奪林業ほどボロもうけはできないので三井も苦労しているようですが、ここで本来の真の地主たるアイヌとして次のように直訴いたします。
一番よい方法は、搾取しつくしたこのあたりで三井の山を地元のコタンに住んでいるアイヌに返すことではないでしょうか。
罪域ほしの最高の方法と思ってここに忠告いたす次第であります。
返されれば、私たちアイヌは共同で管理して、かつてのような真の自然が保全されるような山にもどす方向で、人間が共存できる利用をしていくでしょう。
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「三井物産株式会社社長への訴え」の貝沢は,<住民の代表>の構えで「コタン」「北海道アイヌ」「山の共同管理・自然保全・人間共存」を言う。
しかし,貝沢は<住民の代表>を勝手に自任しているだけである。
実際,「返されれば、私たちアイヌは共同で管理して、かつてのような真の自然が保全されるような山にもどす方向で、人間が共存できる利用をしていくでしょう」は,虚言である。
──貝沢は,同年のインタビューでつぎのように言っている:
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貝沢正「アイヌモシリ,人間の静かな大地への願い」(1991)
『アイヌわが人生』, 岩波書店, 1993. pp.247-276.
pp.261,262.
「開発」というのは自然破壊だからね。ちっともよくない。
アイヌにすれば。昔は豊かではないけれど精神的な豊かさは持っていたわな。食うことの心配はないだろうし、仲間同士の意識もはっきりとつながっていただろうし。
ところがこの私有財産制というのを押しつけられて、今のアイヌは変わってきているんでないだろうかな、残念ながら。
自然保護する、自分の周りをよくしようなんて考え方がなくて、やっぱり、なんちゅうかね、シャモ的な感覚に変わってきた。
もっと悪いというのは、教育受けてないから教養がない。
例えば萱野(茂) さんと主張しているダム問題にしたって、理解してもらえるのは (アイヌではなく) むしろシャモのインテリの人でしょう。
チフサンケ (舟おろし) のお祭りにしたって、二風谷の祭りでなくよその祭りだって言われてる。
二風谷の人が何割かしか出てないんだよ。
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