鳩沢佐美夫 :『対談「アイヌ」』日高文芸, 第6号,1970.
(『沙流川―鳩沢佐美夫遺稿』, 草風館, 1995, pp.153-215)
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pp.211,212
だから、過去の不当性を口にすると、なんかたまらなく空しいんだ‥‥‥。
なぜに、今こそ、この時点で‥‥‥とね。
そして一方に、媚びるような姿を見たり言葉を聞くと、倣慢にも腹立たしくなるんだ。
──被害者は、お前たちばかりじゃないだろう‥‥‥ って──。
戦後ッ子のあんたは見たことがあるかどうかわかんないけどね、以前に "傷病軍人" といって、募金箱を持った白衣姿の復員兵を街角などでよく見かけたもんだ。
この人たちは、第二次大戦で負傷し、手足をもぎとられたりした痛ましい戦争の犠牲者たちだ。
ところがあまりにも同情をかうような恰好をしたり、執劫に列車内などを戦争の不当性を訴えながら募金を呼びかけるんでね、国民からそっぽを向かれちまった──。
つまり、戦争の犠牲者はあんたたちばかりじゃない──ってね。
あの戦争で肉親を失ったり、家を焼かれた人、また精神的にも死をも体験するような被害を、当時の国民は皆蒙ったんだ。
そんなことで、この犠牲者も、いつしかわれわれの前から姿を消しちまった──ね。
それだけに、アイヌ問題もそうならないように‥‥‥。
現に、A市 [旭川市のこと] で持ち上がった旧土人保護法廃止の声、これなどね、はたして、アイヌ問題を真に考えてのうえでの発言かどうか──。
この法案を残しておいては、和人の非を認めるようなものだしね、廃止を叫べば、人道上も共感を呼ぶわけだ。
その一方に、アイヌを利用したような形の行事や産業には、この市も積極的だ。
数年前には、大々的なアイヌ祭と銘打ったり、その木彫のオートメ化、僕はまだ訪れたことがないが、この市管轄内にもアイヌ部落があるようだし──。
またこの春は、開道百年祭記念とかで何か像を作ったらしい。
そこに坐ったアイヌがいるが、差別だ、立たせろ!立たせない!でだいぶ新聞が賑わった。
するとね、立つとか、坐ったとかが問題じゃない、観光アイヌの一掃こそが先だ!──、という声が、本州読者から出て来る。
その物議をかもした記念像がだ、完成してきてその作者とそのヒューマンな市長が、相乗りで凱旋よろしく市中パレード‥‥‥ つい二、三日前テレビに出たばかりだ。
ね、これらをよく状況を通さず云々したくはない。
でも、つまりだよ、観光とアイヌ、木彫とアイヌ、北海道とアイヌ──ね、このイメージ化で、アイヌの今日的問題が打ち消され、俗化されたみやげ店や、行事演出の悪徳和人どもの非が、物の言えないアイヌ、哀れなアイヌ──のうえにのみ、全部ひっかぶされる。
──だから、傷病というハンディを背負って生涯を通さなければならない犠牲者 (傷病軍人) ──。
この人たちのように、いつまでも外見上の売込みだけにすがっていては、やがてね、本質的な現象が葬られ、虚構だけがのさばり出す‥‥‥。
そうなっては、もう手の打ちょうがないぜ。
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そして,実際そうなってしまい,手の打ちようがなくなったのが,いまである。
"アイヌ" は,"アイヌ"予算を獲得し,そのことで
「"アイヌ" は,施しを受ける者」
「"アイヌ" は,見世物」
を自ら確定する者となった。
いま "アイヌ" とは,人のつぎの存り方のことである:
国に,施しをさせる
国に,見世物の元締め (機関を設け経費を出す) をさせる
"アイヌ" は,「アイヌ系統の者」のことではない。
アイヌ終焉後のアイヌ系統世代は,つぎの二通りになる :
- 「アイヌ系統」を,自分の売りにする
- 「アイヌ系統」を,自分の売りにしない
"アイヌ" はaであり,アイヌ系統の者の一部である。
そして,"アイヌ" は「アイヌ」を自称するが,これは「アイヌ」僭称である。
(アイヌは終焉した──存在しない。)
"アイヌ" は,自分らへの批判を「アイヌ差別」「アイヌ・ヘイト」に替える。
しかし,彼らは,アイヌとは何の関係もない者たちである。
アイヌをよく知る者というのでもない。
彼らは,アイヌのシロートである。
彼らは,"アイヌ" のパフォーマンスをする。
しかし,そのパフォーマンスは,アイヌとは何の関係もないものである。
"アイヌ"予算は,このような "アイヌ" に対して措置されるものである。
この構図は,"アイヌ" にとっても居心地の悪いものである。
彼らは,この虚構がいつ曝かれるか,不安に思う。
しかし,不安よりも,惰性が強い。
そして「連帯」(「同類が大勢だから案ずることはない」) を思うことで,不安を抑える。
この体制を率いている者たちも,自身を<ひっこみがつかない>者にしてしまっているので,惰性でいくしかない。
"アイヌ"予算は,このようなダイナミクスにより,安定・固定している。
──「もう手の打ちょうがないぜ」
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