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森竹竹市「解平運動」(1926)
小川正人・山田伸一(編)『アイヌ民族 近代の記録』収載, p.390
解平運動
白老古潭 森竹竹市
聖代の今日猶部落民として社会より特殊視せられ差別的待遇を受けつヽ居る我アイヌ人に依りて解平運動なるもの起され、一刻も早く解放され至公至平の社会的地位を獲得せんとの叫び声を聞くは、我二万のアイヌ民族の為に吾人は快哉を叫ぶものである。
顧みるに我等の祖先は往昔より此の広大なる北海の天地に住み乍、無智文盲にして何等子孫の将来を憂慮せず、往時より耕作せる田畑は永遠に自己の所有物と思惟し之に対し何等法的手続を為さず漫然として居る時、続々として入り来れる内地人は之等土人の文盲なるに乗じ、初めは其の所有する田畑を賃借の名の下に使用して居たものが何時の間にか之等内地人の名義に変り居るといふ有様にて、之に対し我等の祖先は何等施す術を知らなかったのである。
奮起せよ同族!
我等の前途には幾多の社会的大問題が横たはって居るでは無いか。
我等の安心立命の地は何処にあるか?
我等の無智無能を表徴する土人学校は今尚各地に散在して居るでは無いか。
覚めよ同族!
我等は何時迄も昔のアイヌ人であってはなりません。
かの水平社大会の決議綱領に「吾々は人間性の原理に覚醒し人間最高の完成に向って突進す」との一項があったと記憶するが、我々も此の意気此の覚悟を持って生存競争の激しき社会に起ち 虐げられ劣等視せられつヽ居る我アイヌ民族を社会の水平線上に引上げねばなりません。
他人の力に頼るな、飽迄自分の力で自分を完成しなければだめです。
依頼心は何時迄も我等を卑屈ならしめ弱者の位置に置くものです。
旧土人保護法、土人学校の完備等は現在の我々に対し余りに有難からぬものです。
生存競争に敗れ路傍に喘ぎ疲れて居る者への真の同情真の保護は、其者の手を取り目的地迄共に歩んでやる事です。
然るに斯る落伍者に一片のパンを投げ与へ其侭自分等のみ先へ先へと進み乍、声を大にして徹底的保護した等と宣伝せらるヽのは、誠に憤慨に堪へざる次第です。
今日の一歩の差は明日の百歩の差です。
吾人は此の際軽挙妄動を慎み他に乗ぜらるヽ事なく遠大なる理想の下に真撃なる態度を持って、此の有意義なる運動を龍頭蛇尾に終らしめざらん事を希ひつヽ擱筆するものである。
1926,11,21稿
〈『北海タイムス』1926年12月2日〉
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貝澤藤蔵 『アイヌの叫ぴ』(1931)
小川正人・山田伸一(編)『アイヌ民族 近代の記録』収載. pp.373-389.
pp.374,375
二、悲惨なるアイヌ観
内地に居られる人々は、未だ、アイヌとさえ言へば、木の皮で織ったアツシ(衣類) を着て毎日熊狩をなし、日本語を解せず熊の肉や魚のみを食べ、酒ばかり呑んで居る種族の様に思ひ込んで居る人が多い様でありますが、之は余りにも惨なアイヌ観であります。
折襟にロイド眼鏡を掛けた鬚武者の私が、毎日駅に参観者の出迎へに出ると、始めて北海道に来た人々は、近代的服装をしたアイヌ青年を其れと知る由もなく、私に色々な質問をされます。
内地でも片田舎の小学校の先生かも知れません其人に、「アイヌ人に日本語が分りますか?何を食べて居りますか?」と質された時、私は呆れて其人の顔を見るより、此人が学校の先生かと思ふと泣きたい様な気分になりました。
「着物は?食物は?言語は?」とは毎日多くの参観者から決って聞かれる事柄です。
けれど此様に思はれる原因が何処にあるかとゆふ事を考へた時、私は其人々の不明のみを責め得ない事情のある事を察知する事が出来ます。
常に高貴の人々が旅行される時大抵新聞社の写真班が随行されますが、斯うした方々が北海道御巡遊の際、支庁や村当局者が奉送迎せしむる者は、我々の如き若きアイヌ青年男女では無く、殊更アツシ(木の皮で織った衣類) を着せ頭にサパウンベ(冠) を戴かしたヱカシ(爺)と、口辺や手首に入墨を施し首に飾玉を下げたフツチ(老嫗) だけです。
此の老人等がカメラに納められ、後日其の時代離れのした写真と記事が新聞に掲載される時、内地に居てアイヌ人を見た事のない人々は誰しもが之がアイヌ人の全部の姿であると思ひ込むのも無理ない事だらうと思ひます。
否々其ればかりではなく、時偶内地に於て内地人がアイヌ人を見受ける時は、山師的な和人が一儲けせむものと皆を欺し、アイヌの熊祭と称して見世物に引連れて居る時であります。
之じゃ何時迄経っても内地に居られる人々は熊とアイヌ人とを結び付けて考へるだけであって、真に時代に目覚めたアイヌ人の姿を見、其の叫ぴを聞き得ない訳であります。
私は今古代のアイヌ生活より説き起して、過渡時代より現代への推移、現在の生活状態を詳しく申上げたいと存じます。
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およそ90年前の上の文書で訴えられている「矛盾」は,どう「止揚」されたか?
つぎが答えである:
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読売新聞, 2017-04-07, 道内版
「アイヌ知って」 歌を動画に
道、サイトに公開
「象徴空間」PR
道は、アイヌ文化の普及啓発運動「イランカラプテ」キャンペーンのイメージソング「イランカラプテ〜君に逢えてよかった〜」の動画を制作し、公開を始めた。
動画サイト「ユーチューブ」に掲載。
2020年に白老町に開設予定のアイヌ民族に関する国立施設「民族共生象徴空間」をPRしている。
道は、民族共生象徴空間の年間来場者100万人を目標に掲げている。
動画作成は、この達成に向け、多くの人にアイヌ文化に興味を持ってもらい、象徴空間についても「20年に向けてじわじわ広がっていってほしい」(道アイヌ政策推進室) という思いを込める。
イランカラプテはアイヌ語で「こんにちは」の意。
歌は、大ヒット曲「千の風になって」の訳詞と作曲で知られる芥川賞作家新井満さん(70)(七飯町在住)と、アイヌ民族でユーカラ劇の脚本演出家秋辺デボさん(57)(釧路市在住) が昨年、手を組んで制作した。
動画には、新井さんらのほか、高橋はるみ知事、1972年の札幌冬季五輪テーマ曲「虹と雪のバラード」を歌ったトワ・エ・モワ、地元の小学生らが出演し、合唱している。
今年2月、白老町のアイヌ民族博物館の伝統家屋「サウンチセ」に集合し,撮影した。
トワ・エ・モワは新井さんと親交がある。
全編約7分で、合唱の前に象徴空間の予定地の映像や、イランカラプテキャンペーンや象徴空間などの解説も収められている。
道が制作したイラン力ラプテキャンペーンソングの動画の場面
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商品経済は,「商品化」が「止揚」の形である。
これは物理法則であり,是非を言うことではない。
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