救済が成るとは,自活が成るということである。
ところで,救済が課題になっているアイヌの困窮は,「陸に上がったカッパ」の困窮である。
「陸に上がったカッパ」の自活は,「救済」で実現されるものではない。
こうして,行政の捻り出す「救済」は,決して救済にならない。
「救済」は,いつも行政の手前勝手・手前味噌である。
|
砂沢クラ,『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983
pp.73,74.
和人たちは「旧土人 (アイヌ) の保護だ」と言ってアイヌから住みなれた家と土地を取りあげました。
でも、一軒の家が五町歩も六町歩も持っていたよく肥えた土地を取りあげ、かわりに荒れ地一町歩と組末なマサ小屋を一軒与えて、どうして "保護" なのでしょう。
「アイヌのササ小屋よりいい」と言って和人が建てたマサ小屋といったら、狭くて、寒くて、汚くて、使い勝手が悪く、どうにもならないものでした。
家のつくりは、八畳の畳敷きの部屋ひとつと炉のある板張り部屋ひとつきり。板張りの部屋には玄関と裏口があり、戸には障子紙が張ってあるだけでした。
炉はいやに深くて使いにくく、炉の上の煙出しは開いたままなので、冬には戸口からも天井からも風や雪が入ってきます。
外壁と内壁には泥土が塗ってあって、それが移った直後からボロボロと崩れてきて汚いやら、みっともないやら。
一年もたたないうちに、すっかりはげ落ちてしまいました。
町がもうけたのか、請負業者がもうけたのか。
一年たって板張りに替えてもらいましたが、ほんとうにアイヌをばかにした粗末な粗末なマサ小屋でした。
こんな家なので、冬になると部落の人たちは、つぎつぎと風邪をひいたり、体をこわして死んでゆきました。
身内では、祖母のテルシフチ、おじのシトゥンパックアイヌ、その長女のベルマ、おじのケトンジナイアザボの妻のモイサントック、その赤ちゃんも死にました。
寒い家ですからマキもたくさんたきます。前に住んでいたところは木原で、マキは家の周りにいくらでもあったのに、移ったところはヨシ原。遠い山まで取りに行かなくてはなりません。ほんとうに、ひどい目に遭いました。
|
|
|