Up | 自然は個に属さない | 作成: 2017-04-01 更新: 2017-04-01 |
実際,民族派"アイヌ" が民族派"アイヌ" であるのは,つぎをロジックにして,「アイヌ特権」を求めるためである:
和人は,アイヌの土地を奪った われわれは,アイヌの子孫である 和人は,アイヌから奪った土地をわれわれに返せ ──返せないなら,他のもので賠償しろ 昔の土地所有を掘り返して「土地を返せ」を言うのは,非常識なものになる。 この場合,本来の理の方が,よけい見えてくるからである。 その理は,《自然は個に属さない》である。 自然は,個が所有するものではなく,いわば借りるものである。 用途が終わることは,自然に返すことである。 そしてつぎの借り手が現れる。 自然の中の営みは,こうである。 Aがある土地に居たことは,Aの任意の子孫がその土地を自分の所有物にできるということではない。 しかし,民族派"アイヌ" が主張していることは,まさに「Aの任意の子孫がその土地を自分の所有物にできる」なのである。 このロジックは,つぎのように自家撞着する。
Aがいなくなって,アイヌBがその土地に住む。 Bがいなくなって,アイヌCがその土地に住む。‥‥‥ Aの任意の子孫,Bの任意の子孫,Cの任意の子孫 ‥‥‥が,その土地を自分の所有物にできる。 さて,だれが所有すればよいのか? 但し実際には,民族派"アイヌ" は,このロジックでは自家撞着しない。 「われわれに返せ」は,単にレトリックだからである。 要点は,「北海道の先住民はアイヌ」は,もともとまじめな論ではないということである。 「北海道の先住民はアイヌ」を唱えるのは,「アイヌ利権」の合理化は「北海道の先住民はアイヌ」を用いるのがいちばん容易だという理由からである。 お互い納得づくで,騙し騙されるを演ずるのが「アイヌ利権」である。 ──この構図を,よくよく吟味すべし。 |