Up <先住者>なるものは存在しない──系遷移 作成: 2017-04-01
更新: 2017-04-01


    北海道の先住民は?」──この「先住」のことばには,意味がない。
    一般に,「族 group」に関して「先住」を言うのは,意味がない。

    「族」のことばは,集合を<個>にすることばである。
    このとき,<個>に対する<系>が想定されている。
    <系>は,多様な<個>が存在の均衡状態を逐次更新する相である。
    それは,つぎのようなものである:

      フラスコに水を入れて放置する
      この中に,空気中に漂っている微生物が落ちてくる。
      そしてこれが,フラスコの中に「遷移する生態系」を現す:
    (栗原康『かくされた自然──ミクロの生態学』, 筑摩書房, 1973.


    フラスコの水の中に発生した微生物種においては,「われわれが先住民だ」の訴えが成立する種は存在しない:
    実際,フラスコの水の中に最初に現れた種は,不明である。


    北海道を舞台にした「系の遷移」の中に,アイヌが興りそして終わった。
    「アイヌ」と一括りにいまは言っているが,実際は,バラバラのグループである。
    そのバラバラのグループがどのような集散・生滅の模様を描いたのかは,わかるものではない。
    この「アイヌ」に対し「先住」を主題にすることはできない。──「先住」の意味の立てようがない。

     註 : そもそも,「アイヌ」の定位は,《北海道のどこに・どんな族が・どんなふうに現れそして消えたか》をわかってできることである。 そしてそれは,わかることではない。
    考古学は,遺物の分類を方法論にして「いろいろな族があった」を言うだけであり,族の移動・内容変化については言えない。
    遺物は点であり,線ではないからである。