Up 「ヘイト」を講ずる : 要旨 作成: 2017-03-30
更新: 2017-03-30


    ヘイトは,偏見がさせるのではない。
    ヘイトは,現に在るものに対するヘイトである。

    アイヌヘイトは,昔のアイヌに対するヘイトではない。
    現前の "アイヌ" の言動に対するヘイトである。

    たとえば,虚言の効果を狙うふうのつぎのような物言いは,ヘイトを挑発するものになる:
      貝沢正『近代民衆の記録5 アイヌ』付月報 (1972)
     新谷行『増補 アイヌ民族抵抗史』収載, pp.275,276.
    北海道の長い歴史のなかで、大自然との闘いを闘い抜いて生き続けてきたアイヌ。 北海道の大地を守り続けてきたのはアイヌだった。 もっとも無智蒙昧で非文明的な民族に支配されて三百年。 アイヌの悲劇はこのことによって起こされた。 アイヌの持っていたすべてのものは収奪され、アイヌは抹殺されてしまった。 エカシ達が文字を知り、文明に近づこうとして学校を作ったが、この学校の教育はアイヌに卑屈感を植えつけ、日本人化を押しつけ、無知と貧困の賂印を押し、最底辺に追い込んでしまった。
     世界の植民地支配の歴史をあまり知らないが、原住民族に対して日本の支配者のとった支配は、おそらく世界植民史上類例のない悪虐非道ではなかったかと思う。 アイヌは『旧土人保護法』という悪法の隠にかくされて、すべてのものを収奪されてしまったのだ。 日本史も北海道史も支配者の都合で作られた歴史だ。

  戸塚美波子「詩 血となみだの大地」
『コタンの痕跡』, 1971, pp.95-107.
和人は 部落の若い女たちを
かたっばしから連れ去ったうえ
凌辱したのだ──
そして 男たちを
漁場へと連れて行き
休むひまなく
働かせた
若い女たちは
恋人とも 引さ離され
和人の子を身寵ると
腹を蹴られ流産させられた
そして 多くの女たちは
血にまみれて 息絶えた
‥‥‥
このロケットの飛ぶ時代に
ある研究者は こう言った
「純粋な アイヌの生きているうちに
アイヌの血が 肉片が欲しい──」と
くれてやろう
それほどに欲しくば
血でも 肉でも 骨でも──
ハイ グラムいくらです
何という 素晴らしい
研究者であろうか
血を 肉を 骨を
永久に 保存して下さると言う
誇りを うばわれ
血も 肉も 骨も
土地も 家も
自由な 天地すら うばわれた アイヌ


    また,「アイヌ」を売りにしている者がする「アイヌ差別」摘発,ことば狩り,表現狩りは,やっていることがマッチ・ポンプであり,そして「インチキはお互い様」であるので,ヘイトを挑発するものになる。
    つぎは,御用新聞を使って業者を直接を攻撃するタイプのものであり,特に悪質である:
      荒井源次郎『アイヌの叫び』, 北海道出版企画センター , 1984.
    p.208.
    許せぬ業者の酋長売りもの
     札幌市中で大酋長の店という看板を掲げて誤ったアイヌ服装で宣伝ビラをまいていた和人の観光みやげ店主に対し、このほど札幌在住のアイヌ有志たちは、店名の取り消しを要求した。 和人観光業者がアイヌを観光に利用、見せ物にし、アイヌの名称を乱用冒瀆し、人種的差別を助長、認識を誤らしめるものであるとし、断じて許せないと抗議したのは当然のことである。
     現に、道内外において観光客を相手にアイヌを売りものにしているやからが年々多くなっている。 野放しにしていたら、どんなことになるか、嘆かわしい。
     こんなことでは、いつの時代になってもアイヌは誤った認識で見られ、相互の理解を深めるに大きな障害になることは自明の理である。 このような心ない和人の観光業者によってアイヌが侮辱され、民族の尊厳が傷つけられる。 特に、和人の作ったクマ彫り、アイヌ人形その他をアイヌの名で宣伝、酋長の名称を乱用している [註: 自分たちはよいという論理] 事実に対しては、今後一つ一つ形態を変えて解決すべきで、同族の連帯責任でもある。 観光地には酋長を売りものにしている業者が続出しているが、このような行為は断じて許きれるべきでない。
    〈北海道新聞昭和四十八年十月七日〉


    "アイヌ民族" 否定は,作法として,ヘイトの構造・ダイナミクスを講ずることを要する。
    "アイヌ民族" 派は,絶対悪として「アイヌヘイト」を立て,そして自分の不都合になることを言ってくる者を「アイヌヘイト」にするからである。