Up "アイヌ民族" 派の<卑怯>体質 : 要旨 作成: 2017-04-04
更新: 2017-04-04


    ひとには,敵を想定しないと身が保たないタイプの者がいる。
    その者は,敵を悪に定め,自分を正義にする。

    彼らが敵攻撃をするときは,党派を組織してこれをする。
    攻撃は,マスメディアを使って「ここに敵がいる,彼らを懲らしめよ!」を発信するというものである。
    これがさらに進むと,「ここに敵がいる,彼らを懲らしめよ!」の訴訟になる。

    彼らは,自分たちの行動を,悪に対する正義連合の戦いと見なしている。
    この思考様式を,「イデオロギー」という。


    悪を仕立てることは,それ自体デマゴギーである。
    彼らは,デマゴギーを用いる者である。

    悪として描かれた者は,彼らに反発・対抗する。
    この反発・対抗を,彼らは「ヘイト」として描く。
    悪として描かれた者は,彼らに反発・対抗する度に,いっそう悪として描かれることになる。

    イデオロギーの者たちのやり方は,そうでない者には<卑怯>である。
    イデオロギーの党派から悪として描かれた者は,この<卑怯>に対抗していかねばならない。
    対抗しないことは,自分は悪であると認めることになるからである。


    さて,"アイヌ民族"派は,ここに述べた「イデオロギー党派」である。

    ここで,"アイヌ民族"派は,民族派"アイヌ" とイコールではない。
    "アイヌ民族"派の<卑怯>を考えるときは,"アイヌ" と非"アイヌ" を一応区別しておくのがよい。
    民族派"アイヌ" は,"アイヌ民族"派の中ではいつでも梯子を外される立場にあるので,デマゴギーの使用に対し自ずと自制がかかるふうになる。
    <卑怯>は,非"アイヌ" の方でより顕著になる。


    "アイヌ民族"派から悪として描かれ,彼らの<卑怯>に抗っていかねばならない者は,以上述べた<構造>をよく理解する者でなければならない。
    稚拙な行論,攻撃に対する稚拙な反発は,利用されるだけだからである。

     註 : 誤解のないよう断っておくが,本テクストは,"アイヌ民族"派の<卑怯>にやられている者の側に立つものではない。
    やられる一方の格好になっているのは,自分の責任である。 ──実際,下手をしてきており,そしていまも下手をしている結果である。