ひとは,生活経験を積むと,物事の多面性を知るようになる。
即ち,つぎのことを知るようになる:
いま見えているものは,物事の一つの面である。
見えてはいない他の面が,いろいろ・数多くある。
怨念は,この学習を妨げる。
世界をずっと<白か黒か>の二値で見ることをさせてしまう。
世界を<白か黒か>で見る者は,自分が黒としているものとは違うものを見せられると,これを白にする。
怨念は,救いを求めている相なので,こうなってしまうのである。
当時「よど号ハイジャック事件」というのがあった。
つぎの短絡思考が,飛行機を北朝鮮に向かわせたのである:
<日本 = 黒>
<北朝鮮 ≠ 日本>
ゆえに,<北朝鮮 = 白>
「北海道アイヌ中国訪問団」は社会党議員の岡田春夫がお膳立てしたものであるが,その思いは「毛沢東中国=希望の国」である。
実際,当時の社会党にとって,毛沢東中国,金日成北朝鮮は,理想国家建設の道を歩む希望の国だったのである。
|
戸塚美波子「北京の灯」
『北海道アイヌ中国訪問団記』,1974, pp.18-20.
p.20
私が中国へ行く前も、そして帰って来た後も私に対して、中国の政治は悪いとか、特定の人間しか入国させない国だとか言う人がいるけれど、そういう人はどこまで考えて話しているかな、と思う。
私が、中国ベッタリになったような事を言う人もいるけれど、私はそれでもいい。
言いたいやつは言え、私は、中国の人々が好きなのだ。
とにかく、行って来てから、反論するならして、悪口を言いたいのなら言えばいい。
私は私の行った場所と、そして、それによって受けた印象と、それ等をもとにして私なりの対応をしようとおもっている。
中国に行って感じたことの一つに、中国の人々には、お世辞は必要じゃないということ。
思ったこと、感じたこと、意見を卒直に伝えること、そして、妙な猜疑心は持たぬこと、つまり、中国へ立つ前に、やたらと、人の忠告に耳を傾けないこと (忠告してくれる人は親切のつもりでもアテにならないから) だというそれらのことです。
私達、招待を受けて行ったわけですが、本当に、言葉では言い尽せない歓待を受け、このことは一生忘れられません。
他の人がどんなに中国の悪口を言っても、あの優れた少数民族対策には頭が上がらないでしょう。
中国に行って初めて、アイヌに生まれて良かったな、としみじみ思いました。
|
|
白黒思考回路なので,つぎの問いが立つことを知らない:
「少数民族対策とは何か」
「なぜいまこの形態の少数民族対策なのか」
「状況が変わるとき,いまのこの少数民族対策はどう変わるか」
そして,この者は《民族抑圧政策は,白がこれを行えば白》の無定見を曝す者になる:
|
戸塚美波子「中央民族学院にて」
『北海道アイヌ中国訪問団記』,1974, pp.44-47.
p.45
チベットでは、革命以前、子供が生まれるとラマ教のお寺に届け出るきまりがあった。
家族の人数全部に人頭税という奇怪な税金がかけられたり、また、ラマ教の僧侶が行なった非道なやり口などには、さすがに驚いたが、それと同時に、なぜ中国が宗教に対して、神経質なのかが納得できた思いがした。
|
|
《白が行えば白》は,革命イデオロギーの核心である。
実際,「中国訪問団」を対外プロパガンダの方法にした毛沢東文革体制は,「造反有理・革命無罪」のスローガンを以て大量粛清・虐殺を進める体制であった。
|