Up 「"アイヌ民族" イデオロギー」を講ずる : 要旨 作成: 2017-03-30
更新: 2017-04-01


    1960年代末に新左翼運動が起こり,1970年代前半にわたって盛んになる。
    "アイヌ民族" のことばは,この中で生まれた。

    新左翼運動は,"解放"イデオロギーの運動である。
    イデオロギーの基本はマルキシズムであり,この場合「賃金労働者」が<"解放" されるべき被抑圧者>である。
    しかし,これは運動にとって不都合となる。
    現実の賃金労働者は,マルキシズムが描くような<"解放" されるべき被抑圧者>になってくれないからである。
    そこで運動は,<"解放" されるべき被抑圧者>を別に捜さねばならない。
    国外に飛び出す者も現れたが,これは《国内からは,<"解放" されるべき被抑圧者>になろうという者が出て来ない》となったからである。

      梅内恒夫「共産同赤軍派より日帝打倒を志すすべての人々へ」(1972)
     竹中労・平岡正明『水滸伝──窮民革命のための序説』収載, pp.157-230.
    p.162.
     路線の破綻とは、一言でいえば、結合するべき人民がどこにいるか、わからなくなったということ である。 彼らが第一歩から始めることを恐れずに路線の転換を決意し、視野を拡大してアジアの窮民、そして第三世界のすべての窮民に注目することができたら、同志殺しをせずにすんだかもしれない。
    p.165
    昨年十二月までは、日本「人民」に対する幻想と完全に訣別することはできなかった。 太田竜と巡り会って目が醒めた。 我々の味方はアジアの窮民、そしてすべての第三世界の窮民である。 我々は窮民独裁の世界社会主義共和国の大義を獲得できたのである。 鬼に金棒とはこのことだ。 三人 [註 : 太田竜・竹中労・平岡正明] の世界革命浪人(ゲバリスタ)がいなければ、我々は、現在彼らの到達した地獄に降りるのに、あと一年はかかったろう。
    p.169.
    帝国主義は自ら崩壊するなどということはあり得ない。 あらぬ期待をかけても無駄なのだ。 ましてや、ソ連と中国が帝国主義列強との貿易を拡大し、この助け合い運動に加わるようでは、なおさらである。
     この現代帝国主義の巧妙なメカニズムは、経済成長の持続によって、本国労働者階級の賃金上昇と農民保護政策の充実を可能にした。 かくして本国「人民」は革命性を徐々に喪失し、本国内階級闘争はますます不能に陥る。 これが帝国主義本国が革命戦争の時代に到達しないことの根拠である。
     現代帝国主義のこの特徴は、資本主義の発生初期にすでに明らかであった。 ただマルクスがごまかされ、マルクスの後に続いた者もまたごまかされていたにすぎない。
    p.170.
     金持ち喧嘩せずで、余裕のできた現代帝国主義は、本国「人民」と妥協できたようだ。 しかし本国内の植民地窮民 [註 : "アイヌ"・沖縄] は頑張っている。 さらに帝国主義者によって生活を破壊された新しい窮民も増えている。 第三世界の窮民も打倒日帝を胸に畳み込んで待機している。


    "アイヌ" からも,「太田竜と巡り会って目が醒めた」者が現れた。
    結城庄司 (「アイヌ解放同盟」) であり,成田得平 (「ヤイユーカラ・アイヌ民族学会」) である。

      結城庄司「ウタリに寄せる ──自然主義者、アイヌの道」(1971)
    『コタンの痕跡──アイヌ人権史の一断面』. pp.437-447.
    p.441.
     問題はまだまだたくさんあるが、そうではない良き隣人 (和人) も大勢いた。 その和人たちは、同じ日本人でありながらいろいろな事件をおこした同民族である和人の社会から追放同様にされた。 それは日本の社会に受けいれられない人たち [註 :「窮民」] でもあった。 この人たちはアイヌコタンに逃げるようにして住みついたのである。 そしてメノコと結婚してアイヌの風俗にもすっかり溶け込み、心の底からアイヌを愛した人たちであった。 やがてこういう人たちが増えて次第にアイヌも混血化していったのである。
    p.442
    資本主義社会は常に少数民族の犠牲の上になりたって来たのであり、現代もなおその戦いに大資本を注ぎ込んでいるのである。

      結城庄司「アイヌ独立の魂は、呪いの戦い、怨念と化し、自然を背景に燃え続けて来た」(1972)
     太田竜「御用(ツキノエ)アイヌへの挑戦から始めよ」/『アイヌ革命論』収載
     天皇軍は、原住民アイヌを、北辺に封じ込め、戦いが完全に勝利したかのように、歴史を歪曲しているが、そのごまかしは一九七二年に、原住民精神をつらぬく人々によって粉砕された
     「原住民精神」、それはアイヌ共和国創造への胎動である。
     現在もなお、天皇軍の手先共 (日本帝国主義機構の総て) は、アイヌが誇りとする、原始自然を破壊・略奪し、一九七三年に向けて日本列島改造部隊は、日本最後の原始境・アイヌの聖地 (大雪山) をも、解体青写真を製作してしまった。
     アイヌ共和国独立の戦いは、歴史に敢然と輝やく、アテルイとコシャマイン、シャクシャインの戦法 (ゲリラ作戦) によって、開始されなければならない
     天皇軍は、常に平和的甘言をもちいて、日本原住民の首をはね、原始共産制への民族の流れを、断ち切ろうとした。 この策略は失敗に終り、再度、日本帝国主義者共、天皇支配にたいし、アイヌ共和国独立の戦い、最前線連帯軍は結集されつつあることを、人民に宣言する。
     我々共和国同胞は、腐りきった天皇軍農耕文明を、徹底破壊し、その戦いを世界革命の原点としなければならない
     日本帝国主義者の総てを、自然を喰い荒す「怨獣」と考え、怨獣のたれ流す糞尿は、「公害」といってよいだろう。
     糞尿を喰わされるのは、常に「人民」であり新鮮な「自然」を喰うのは、常に怪獣 (日本帝国主義者) である。
     天皇が支配して来た、農耕文明はいつわりの神を祭り、仏教をとりいれ、日本原住民を、大和化し皇民化することに専念して来た。 現在も、アイヌを同化政策により、自らの罪悪の責任を回避しようとして失敗した。
     アイヌは、「自然─神秘─人間」を、自然主義とし、自然の神秘を神々とし、原始共産世界を自由の天地と考え、日本原住民の狩猟文化を護りぬいたのであり、北辺に強く生きているし、これが日本原住民の原点である。
     日本原住民の原点を、アイヌ共和国独立の同志は、常に忘れてはいなかった。 それは、生命への連帯であり、人間が自然 (大地) に戻る原則なのだ。 独立の魂は、永遠に燃え続けるのである。
     日本帝国主義者は、現代文明の中に喘ぐ人民を救おうとしない。 それどころか、人民の共有する自然をも、取りあげて、人間の精神の衰弱を図り、世界支配の野望に燃え、兵隊化しようと企らんでいるのである。
     アイヌ共和国独立の同志は、人間の原点に戻り、世界支配 (帝国主義) を、完全に粉砕しなければならない。
     一九七三年は、世界に同志を求めながら、画期的な革命戦争への日本原住民戦法により、日本歴史は、ぬりかえられて行く時となるであろう
    アイヌ解放同盟 結城庄司  

    結城らの言動は,彼らとは距離をおく "アイヌ", "シャモ" にも,言動の先鋭化・過激化という形で,影響を与えることになる。


    "アイヌ民族" 否定は,この歴史を講ずることを含む。
    なぜなら,"アイヌ民族" 派は,「"民族" の概念が起こるダイナミクス」の考えを持たないからである。 そのため,「アイヌは昔からずっと "民族" である」のように思っているからである。