Up | 幼児性──マンガ思考 | 作成: 2017-03-23 更新: 2017-03-23 |
その「解放」は,漠然と考えられた。 漠然であるために,入口がいくらでも広くなった。 だれでも自分の状況に息苦しさを感じ,「解放」を想うからである。 ひとは,物理から解放されない。──自分自身,物理の要素だからである。 ひとは,気象から解放されない。──自分自身,気象の要素だからである。 ひとは,生態系から解放されない。──自分自身,生態系の要素だからである。 ひとは,経済から解放されない。──自分自身,経済の要素だからである。 ひとは,社会から解放されない。──自分自身,社会の要素だからである。 ひとは,自分がそれの要素であるところの系からは,解放されない。 この系は,複雑系である。 ひとは,系の攪乱はできても,制御はできない。 「解放」の絵を描くことができたとしても,それは系とは無関係の絵である。 その絵は,マンガである。 実際,物理無視である。 超常現象・超能力満載であり,ヒーローが世界を救う! 一方,ひとの精神の生きる場は,現実ではなく<幻想>である。 新左翼イデオロギーの時期,ひとはマンガに生きた。 新左翼イデオロギーの時期は,ひとがマンガに生きることのできた時代である。 まじめに「革命」を考える者,「武闘」「地下行動」を考える者がいた。 「粛清」の殺戮も現れた。 これらが可能であったのは,物理に対する思考停止を,暗黙に,互いに許し合う時代だったからである。 数量計算すれば,やっていることがナンボのものかはっきりする。 そこで,数量計算は自ずと抑制・抑圧される。 マンガの世界は,物理計算をしたら元も子もなくなる世界である。 「アイヌ民族」イデオロギーは,この時勢の産物の一つである。 漠然と「アイヌ解放」が考えられる。 そして「解放」されるところのものの定立となって,「アイヌ民族」となる。 アイヌ系統者でこのマンガに嵌まった者たちは,アイヌ系統者のうちのごく少数である。 しかしこの者たちは,自分を「アイヌ系統者の代表」──「同族の思いは同じであり,違いは行動する・しないだけ」──にしてしまう。 この者たちは,アイヌ系統者全体からは浮いた存在のままになる。 しかし,消費社会は,彼らを<おいしい素材>にする。 彼らはメディアに消費され,そして「アイヌ利権」に取り込まれていく。 |