戸塚美波子「詩 血となみだの大地」『コタンの痕跡』, 1971, pp.95-107.
pp.95,96
自然は
人間自らの手によって
破壊されてきた
われらアイヌ民族は
何によって破壊されたのだ
この広大なる北海道の大地に
君臨していたアイヌ
自由に生きていたアイヌ
魚を取り 熊 鹿を追い
山菜を採り
海辺に 川辺に
山に 彼らは生きていた
人と人とが 殺し合うこともなく
大自然に添って 自然のままに
生きていたアイヌ
この大地は まさしく
彼ら アイヌの物であった
侵略されるまでは───
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河野本道・渡辺茂 編『平取町史』,1974.
「第一編 第二章 第Ⅱ期 (江戸初期)」
pp.148,149
‥‥‥アイヌの漁場を侵し、また交易にはあらゆるごまかしをもって巨利をむさぼり、各所に豪族は館を築いて勢力を張っていた。
しかも人種的偏見や風俗習慣の差異から、個人的な接触でもつねに悔蔑的な感情がつきまとい、やがてそれが嵩じて幾多のトラブルがあったにちがいない。
かかる情勢下に起きたのがコシャマインの乱である。
その直接の原因は康正二年 (1456) の春、和人の鍛治屋がアイヌの青年をマキリで刺し殺したことに端を発し、これが動機となって各地のアイヌが相呼応して立ちあがり、東は鵡川から西は余市までの和人が襲殺され、かろうじて免れたものは松前や上ノ国に避難する事態にまで発展した。
すなわち、永い間血族的な平和な集団社会を形成し、死刑とか殺人とかの風習をもたなかった彼等にとって、この和人の行為はまさに許しがたい暴逆と考えたにちがいなく、したがってその暴動はひとり各地における襲殺だけにとどまらず、越えて翌長禄元年 (1457) になると、すでに民族的な復讐心をかりたてて団結させ、東部の酋長コシャマインを陣頭に‥‥‥
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「人と人とが殺し合うことなく」は,調べたわけでもなく,確認したわけでもない。
ただ,都合上そうあって欲しいから,「人と人とが殺し合うなく」としたのである。
『平取町史』の上記部分の書き手である河野本道・渡辺茂は,これを書いた当時,<都合優先>を善とする者であった。
その都合とは,「現体制を打倒して社会主義の国を打ち立てる」であり,そのための「階級的憎悪をつくり出す」である。
実際,体制打倒型イデオロギーは,手段を選ばないものになる。
体制打倒につながるような行動は,すべて善になる。
デマゴギーも,立派な善である。
もっとも,河野本道・渡辺茂を「確信犯」に見たら,それは彼らに対する評価が高過ぎるということになる。
時代の空気 (流行) に流されたというのが,実際のところである。
河野本道の『アイヌ史/概説』(1996) は,彼の「過去の自分の過ちの清算」の書である。
この中に,全体の構成と不釣り合いに,「変容期開始期・展開期頃のアイヌ諸集団間抗争伝承資料」が入っている。
これは,<「人と人とが殺し合うことなく」を言った過去の自分>の清算である。
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口頭伝承にもとづく地域集団間の対立関係例表示一覧表
地域集団間の対立関係 | 対立要因 |
1 | | カフカイ(礼文島) | ── | 天塩または増毛 | 報復 |
2 | | 香深井・利尻 | ── | 磯谷 | |
3 | | 天塩 | ── | 北見 | |
4 | | 上川 | ── | 北見 | 川の幸・山の幸略奪 |
5 | | 上川または石狩 | ── | 十勝 | |
6 | | 石狩 | ── | 十勝 | 天産略奪 |
7 | | 石狩 | ── | 釧路方面 | |
8 | | イシカリ | ── | ルルモックペ | 宝物略奪 |
9 | | 余市天内山 | ── | 日高・十勝方面 | |
10 | | 余市・忍路 | ── | 小樽 | |
11 | | イヨチ | ── | 沙流付近 | |
12 | | 虻田 | ── | 有珠 | |
13 | | 伊達 | ── | 有珠 | |
14 | | 室蘭 | ── | 日高 | |
15 | | 勇払 | ── | 千歳 | |
16 | | 門別 | ── | 〈シャクシャイン〉・うら川 | |
17 | | 門別 | ── | 釧路 | |
18 | | 平取 | ── | ユプツ・クスロ | |
19 | | 平取 | ── | 十勝・釧路方面 | |
20 | | 平取 | ── | 十勝地方 | 略奪 |
21 | | 平取 | ── | 十勝 | 宝物略奪 |
22 | | ピパウシ(平取二風谷) | ── | 十勝 | 宝物略奪 |
23 | | 静内御殿山(〈鬼ひし〉) | ── | 〈シャクシャイン〉 | |
24 | | 静内炭山沢入口 (〈鬼ひし〉) | ── | 〈シャクシャイン〉 | |
25 | | 静内農屋 | ── | 十勝 | |
26 | | 静内 | ── | 十勝 | |
27 | | 〈鬼ひし〉 | ── | 静内入舟(〈シャクシャイン〉) | |
28 | | 静内東静内 | ── | 椚別 | |
29 | | 浦河 | ── | トカチ | |
30 | | 様似 | ── | トカチ | 利剣略奪 |
31 | | 広尾 | ── | 北見 | |
32 | | 幕別(猿別) | ── | 日高 | |
33 | | 豊頃安骨 | ── | 釧路 | |
34 | | 豊頃安骨 | ── | 日高 | |
35 | | 豊頃旅来 | ── | 北見・根室 | |
36 | | 豊頃旅来 | ── | 日高 | |
37 | | 豊頃 | ── | 日高 | |
38 | | 旅来 | ── | 十勝太 | 漁場侵害 |
39 | | 浦幌乙部 | ── | 白糠・釧路 | 宝物略奪 |
40 | | 浦幌乙部 | ── | 北見 | |
41 | | 本別 | ── | 釧路 | |
42 | | 本別 | ── | 釧路・北見 | |
43 | | 本別仙美里 | ── | クシロ | |
44 | | 本別仙美里 | ── | 日高または厚岸 | |
45 | | 本別仙美里 | ── | 十勝 | |
46 | | 足寄 | ── | 釧路方面 | |
47 | | 陸別 | ── | 釧路 | |
48 | | 陸別(十勝) | ── | 釧路・厚岸(十勝) | 宝物略奪 |
49 | | 十勝(陸別〈カネラン〉) | ── | 厚岸(〈シュマンベクル〉) | もの取り |
50 | | 白糠 | ── | 厚岸 | 宝物略奪 |
51 | | 阿寒(庶路)・(シヅナイ) | ── | 十勝 | 娘奪い |
52 | | 阿寒 | ── | 厚岸・根室 | 宝物略奪 |
53 | | 釧路 | ── | 十勝・厚岸・根室 | |
54 | | 釧路 | ── | 十勝・厚岸・根室 | |
55 | | クスリ | ── | ウラスベツ | 報復 |
56 | | 釧路 | ── | クスリの奥 | 資源略奪 |
57 | | 釧路 | ── | 厚岸 | 漁場侵害 |
58 | | 釧路 | ── | 厚岸 | |
59 | | 釧路 | ── | 厚岸・根室 | 宝物略奪 |
60 | | 釧路 | ── | アッケシ・ネモロ | |
61 | | 釧路 | ── | 斜里・網走・常呂・ 美幌・北見・湧別 | 宝物略奪 |
62 | | 昆布森・厚岸・霧多布 | ── | 北見 | 鎧略奪 |
63 | | 標茶 | ── | 舎利・根室 | |
64 | | 厚岸 | ── | 屈斜路・阿寒・塘路・網走 | 食糧確保 |
65 | | 標津 | ── | 北見 | 財宝略奪 |
66 | | 網走 | ── | 湧別・紋別 | 宝物略奪 |
67 | | 佐呂間 | ── | 斜里 | |
68 | | 佐呂間 | ── | トコロ | |
69 | | 佐呂間・常呂 | ── | 湧別 | |
70 | | 常呂(北見) | ── | 斜里・十勝 | |
71 | | 遠軽(北見) | ── | 十勝 | |
72 | | 遠軽(湧別) | ── | 上川・十勝 | 猟場侵害 |
73 | | 紋別 | ── | 日高 | 猟場侵害・報復 |
74 | | 国後・目梨 | ── | 美幌 | |
75 | | 国後・目梨 | ── | 美幌 | |
76 | | くなしり | ── | 釧路 | 宝物略奪 |
77 | | クリル | ── | 根室 | 宝物略奪・奴僕略奪 |
78 | | 〔クルムセ (クルンセ)〕 | ── | クナシリ・ハボマイ・ ネムオロベシ・厚岸・釧路・ (遠矢)・北見・十勝・ピエイ | |
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この表の中の「ピパウシ(平取二風谷) ── 十勝 宝物略奪」に対応する伝承 (の一つ) として,
川上勇治『サマウンクル物語』, すずさわ書店, 1976.
「コタンの妖万」, pp.9-28
の一部を (ストーリーがつながる程度に) 引いておく:
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‥‥‥
お婆さんの見た外の光景は、非常に恐しいものであった。白い雪明りと、遅く出た半月の明りの中で、今まで見たこともない大勢の異様な風体の男や女、老人、子供までが加わり大きな円陣を作っていた。‥‥‥お婆さんは彼らの動作や風体を見て、すぐトパット゚ミ (夜襲) だと判断した。
トパット゚ミとは沙流以外のたとえば十勝とか石狩とかのひとつの大きな部族が、一族を引連れて攻め寄せ、ねらいをつけたコタンに焼討ちをかけ皆殺しにして、そのコタンを占領し住みついたり、または宝物をうばい取り、ピリカメノコ (美人) がいると連去ったり、いわばこれは、アイヌ間の戦争であった。だからアイヌたちはこの戦争にそなえて、各地にチャシ (とりで) を築いて常時見張りを続けたとのことである。女や子供を連れているということは、多分うばい取った宝物やその他の物を運搬するのに、一人でも多くを必要としたからだと思われる。
‥‥‥
オッテナはみんなの意見や、長老の話を聞き、いちいちうなずいていたが、やがて決断したのかやおら立ち上り「もうぽつぽつ夜明けだ。お婆さんの話によると彼らは大体三十人位だ。年寄りや女子供がまじっているので、あまり遠くまで逃げていない。これから追討ちをかけひとり残らず討ちとらなければ、これから先何度もこのように攻めて来られたら大変だ。‥‥‥
イワンチシリのチャシまで急いで先まわりして、奴らが川伝いに逃げるのを待伏せしてひとり残らず矢で射殺してしまえ」と命令した。
総勢十人ほどの足の早い屈強な男たちが、弓矢刀などを持ち、勇んでポロチセから飛んで出て行った。
‥‥‥
このチャシでトパット゚ミ隊の三分の一の男たちが矢で射殺されたが、その他の連中は、なおも沙流川の奥へ奥へと逃げて行く。
‥‥‥
ポロサルのアイヌたちは味方の矢傷の手当をしたり、負傷者をコタンへ連れて帰るため、戦いを一時中止し、逃げるトパット゚ミ隊を追わないことにした。
そのうちにチャシの近くに、三人の屈強なアイヌがあらわれ、‥‥‥ポロサルのアイヌたちは負傷者を連れて全員がコタンへ帰ることになり、三人だけがトパット゚ミ隊の後を追うことになった。
‥‥‥
イワナイという沢の近くに来た時、三人はトパット゚ミ隊の足跡のみだれを発見した。おかしいと思い注意しながらなおも進んで行くと、ある小沢のくぼみに、新しい松の枝が積み重ねてあった。
不思議に思い、この松葉を取りのぞいてみるとひとりの女の死体が出て来た。調べてみると、この女は妊娠しておりもう臨月らしい様子であった。女はトパット゚ミの仲間である。‥‥‥
三人のアイヌたちはここでカムイノミをした。この女の死体の乳房を切り取りそれぞれ一口ずつ呑みこんで、そのあと、もし気分が悪くなりもどすようなことがあれば、その者は武連がなく、無事にコタンに帰ることが出来ないのである。また、もどさなかった者は心配ないことなので、呑みこむ前に無事を神に祈るのである。これは一種の占いのようなものだと思うが、アイヌの伝説のなかにはよくこのような話が出てくる。
三人のアイヌたちもこれを行なったのである。三人は女の乳房の肉を切り取り、それぞれひとくちずつ呑みこんだ。するとまもなく三人のうちの一人が気分が悪くなり、ニ人の目の前で真赤な生肉をはき出した。このはき出した人はペナコリから行ったアイヌだということである。
‥‥‥
ウサップの森林を過ぎると前方に大勢のトパット゚ミたちが先を急いでいるのを発見した。イワンチシリで討死した残りのトパット゚ミたちである。女や子供を含めて約二十人である。‥‥‥
この場所で十人あまりのトパット゚ミたちが矢で射殺されたということである。
‥‥‥
生き残ったトパット゚ミ隊は、なおもチロロ(千栄)を通り過ぎ沙流川の本流の奥へ奥へと逃げて行った。
三人のアイヌたちは再び追いかけ始めた。
古老たちの話によると、このトパット゚ミに来た連中は一人残らず殺してしまわなければならないと言う。
なぜなら、トパット゚ミ隊の子孫が一人でも生き残るとあとで必ず仇討に攻め寄せて来るので、後難を恐れるアイヌたちはたとえ子供や女でもすべて殺してしまったということである。
‥‥‥
とど松、えぞ松、だけ樺、真樺の原始林の山の中腹あたりの斜面を横切り、三人のアイヌたちは固雪の上を風のように走っていた。まもなくトパット゚ミ隊に追いついた三人は、残ったトパット゚ミたちを情け容赦もなく斬りまくった。日勝峠近く日暮れ時のことである。
トパット゚ミの者もなかなかうでのたつのがいて勇敢に戦ったが、とうてい三人のアイヌの敵ではなかった。あとで恨みを残さぬため、女も子供も老人も残っているものは全員殺さなければならない。男たちの戦う怒声と女子供の泣きさけぶ悲鳴があたりの山々にこだまし、白い雪の上一面に真赤な血をそめて戦いは終った。
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アイヌの伝説によれば、戦いのいかなる場面においても必ず仲間の一人か二人を逃して自分たちの味方に連絡するということである。この戦いの場合、トパット゚ミの側も二人が落ちのび、一心に日勝峠のはい松の中をくぐり抜けて十勝の方へ逃げのびたのである。三人のアイヌたちは戦い終ってほっと一息ついたとき、二人の足あとが峠の方へ続いているのにふと気がついた。
今日はチロロあたりまで下って帰路につこうかと考えていたが、たとえ一人でも逃げのびれば、何日か後に援軍を引連れて仇討に攻め寄せて来る恐れがあるので、また引続き翌朝から追跡することにした。
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固雪の上を歩くことにかけてはすばらしい速度を誇る三人は、疾風のように十勝原野をめざして走っていた。太陽が空の真中を通り幾分西にかたむいた頃、雪原の彼方にポツン、ポツンと、五、六軒のアイヌ・チセがたち並んでいるのを発見した。三人のアイヌたちは用心してコタンの近くの萱原でかくれて日の暮れるのを待ち、様子を見ることにした。
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三人のアイヌのうちの一人が、チセの内部を探るため屋根の上まで身軽に飛び上り、リクンスイ (煙出し窓) から中をのぞきこんだ。いるわ、いるわ、大勢のアイヌが協議のまっ最中である。
その時リタンスイのあたりに異様な気配を感じたチセの中の一人のアイヌが、すばやく弓に矢をつがえ、リクンスイから顔をのぞかせたアイヌに矢を射た。矢は正確にアイヌの目に命中し、異様なうめき声を上げて屋根から地上へ転落した。下でこれを見ていた二人は怒りに燃え、一人はロルンプヤル (東測の窓) から、一人はセム (家の入口の空間) のある入口から万を振りかざしてチセの中へ乱入した。そうして手当り次第斬って斬って斬りまくった。せまいチセの中で二人は自由にあばれることが出来たが、チセの中にいた人たちは手出しも何も出来ないうちに皆殺しにされてしまった。
戦いすんで目をやられたアイヌを介抱しようとしたが、時すでに遅く矢の毒が全身にまわり手のほどこしょうもなく息を引きとった。先に書いたように、女の死体の乳房を呑んではき出した時すでにこのアイヌの運命は決まっていたのである。
二人はまったく人影のなくなったコタンのチセ全部に火をつけて焼き払い、帰路につくことになった。
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そもそも,「人と人とが殺し合うことなく」が嘘であることは,ユカル (英雄伝) を思い浮かべれば,たちまちわかることである。
実際,ユカルは,全編が「人と人の殺し合い」の話である。
「人と人とが殺し合うことなく」を言った者は,よほど不勉強で無知な者ということになる。
冒頭の詩は,正義イデオロギーが集団心理になっていた時代の産物ということで,了解される。
世界は善と悪の戦いであり,自分は善の陣営に立ち悪を倒さねばならないというのが,このイデオロギーである。
アイヌは善に,シャモは悪に措かれる。
アイヌは善でなければならない。
したがって,善にしていかねばならない。
こうして,実際と違うことを言っていくことになるのである。
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