Up 「階級的憎悪」(シャモヘイト) 作成: 2019-02-11
更新: 2019-02-11


      貝澤正 (1971). pp.125,126
     私は自らの意見も言わず、例を述べるに過ぎないが共感を得たものを列記した。 もう一つ、十勝の女子高校生の稿をお借りして新しいアイヌの考えを知ってもらいたい。

    歴史を振り返ることによって真の怒りを持つことができる
    「差別されたから頭に来た、あいつらをやっつけたい」
    それはそれだが、そんな小さな問題に目を向け右往左在しているだけでは駄目だ。
    私たちがアイヌ問題を追って行く時突き当る壁は同化ということだ。
    明治以来の同化政策の波は、もはや止めることはできないだろう。
    私は、何とか、アイヌの団結でシャモを征服したいものだと思った。
    アイヌになる。
    北海道をアイヌのものにできないものか。
    だが、アイヌの手に戻ったとしても差別や偏見は残るだろう。
    やはり、根本をたたき直さねばならないのです。
    アイヌは無くなった方がよいという考え方、シャモになろうとする気持が、少しぐらいパカでもいいからシャモと結婚するべきだと考えている人が多いと思う。
    私の身近でも、そういう人が随分いる。
    私はこのような考え方には納得できない。
    シャモに完全に屈服している一番みにくいアイヌの姿だと思う。
    これは不当な差別を受けても "仕方がないのだ " と弱い考え方しかできない人たちなんだと思う。
    アイヌだから、差別されるから、シャモになった方が得なんだと言うなら、それは悪どい、こすいアイヌだ。
    なぜ差別を打倒しないのか
    なぜ、アイヌ系日本人になろうとするのか。
    なぜアイヌを堂々と主張し、それに恥ることのない強い人間になれないのか。
    どうしてアイヌのすばらしさを主張しようとしないのか?
    私は完全なアイヌになりたい。
     個人が自己を確立し、アイヌとして真の怒りを持った時、同化の良し悪しも片づけることが出来ると思う。
    強く生きて、差別をはね返す強い人間になることだ。』



    引用文献
    • 貝澤正 (1971) :「近世アイヌ史の断面」
      • 『コタンの痕跡』, 旭川人権擁護委員連合会, 1971. pp.113-126