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結城庄司 (1972)
天皇軍は、原住民アイヌを、北辺に封じ込め、戦いが完全に勝利したかのように、歴史を歪曲しているが、そのごまかしは一九七二年に、原住民精神をつらぬく人々によって粉砕された。
「原住民精神」、それはアイヌ共和国創造への胎動である。
現在もなお、天皇軍の手先共 (日本帝国主義機構の総て) は、アイヌが誇りとする、原始自然を破壊・略奪し、一九七三年に向けて日本列島改造部隊は、日本最後の原始境・アイヌの聖地 (大雪山) をも、解体青写真を製作してしまった。
アイヌ共和国独立の戦いは、歴史に敢然と輝やく、アテルイとコシャマイン、シャクシャインの戦法 (ゲリラ作戦) によって、開始されなければならない。
天皇軍は、常に平和的甘言をもちいて、日本原住民の首をはね、原始共産制への民族の流れを、断ち切ろうとした。
この策略は失敗に終り、再度、日本帝国主義者共、天皇支配にたいし、アイヌ共和国独立の戦い、最前線連帯軍は結集されつつあることを、人民に宣言する。
我々共和国同胞は、腐りきった天皇軍農耕文明を、徹底破壊し、その戦いを世界革命の原点としなければならない。
日本帝国主義者の総てを、自然を喰い荒す「怨獣」と考え、怨獣のたれ流す糞尿は、「公害」といってよいだろう。
糞尿を喰わされるのは、常に「人民」であり新鮮な「自然」を喰うのは、常に怪獣 (日本帝国主義者) である。
天皇が支配して来た、農耕文明はいつわりの神を祭り、仏教をとりいれ、日本原住民を、大和化し皇民化することに専念して来た。
現在も、アイヌを同化政策により、自らの罪悪の責任を回避しようとして失敗した。
アイヌは、「自然─神秘─人間」を、自然主義とし、自然の神秘を神々とし、原始共産世界を自由の天地と考え、日本原住民の狩猟文化を護りぬいたのであり、北辺に強く生きているし、これが日本原住民の原点である。
日本原住民の原点を、アイヌ共和国独立の同志は、常に忘れてはいなかった。
それは、生命への連帯であり、人間が自然 (大地) に戻る原則なのだ。
独立の魂は、永遠に燃え続けるのである。
日本帝国主義者は、現代文明の中に喘ぐ人民を救おうとしない。
それどころか、人民の共有する自然をも、取りあげて、人間の精神の衰弱を図り、世界支配の野望に燃え、兵隊化しようと企らんでいるのである。
アイヌ共和国独立の同志は、人間の原点に戻り、世界支配 (帝国主義) を、完全に粉砕しなければならない。
一九七三年は、世界に同志を求めながら、画期的な革命戦争への日本原住民戦法により、日本歴史は、ぬりかえられて行く時となるであろう。
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引用文献
- 結城庄司 (1972) :「アイヌ独立の魂は、呪いの戦い、怨念と化し、自然を背景に燃え続けて来た」
- 太田竜「御用アイヌへの挑戦から始めよ」, 1973.
- 太田竜『アイヌ革命論──ユ-カラ世界への〈退却〉』, アイヌ共和国情報部 (新泉社), 1973, pp.166-188.
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