Up 「アイヌ被虐史」 作成: 2019-02-11
更新: 2019-02-11


      戸塚美波子 (1971)
    ‥‥‥ この広大なる北海道の大地に
    君臨していたアイヌ
    自由に生きていたアイヌ
    魚を取り 熊 鹿を追い
    山菜を採り
    海辺に 川辺に
    山に 彼らは生きていた

    人と人とが 殺し合うこともなく
    大自然に添って 自然のままに
    生きていたアイヌ
    この大地は まさしく
    彼ら アイヌの物であった
    侵略されるまでは───

    ある日 突然
    見知らぬ人間が
    彼らの 目の前に現われた
    人を疑わねアイヌは
    彼ら和人を もてなし
    道先案内人となった

    しかし──
    和人は 部落の若い女たちを
    かたっばしから連れ去ったうえ
    凌辱したのだ──

    そして 男たちを
    漁場へと連れて行き
    休むひまなく
    働かせた

    若い女たちは
    恋人とも 引さ離され
    和人の子を身寵ると
    腹を蹴られ流産させられた
    そして 多くの女たちは
    血にまみれて 息絶えた

    男たちは
    妻 子 恋人とも
    速く離れ
    重労働で疲れ果てた体を
    病いに胃され
    故郷に 送り返された
    その道すがら
    妻を 子を 恋人の名を
    呼びつつ
    死出の旅へと発った
     (侵略者和人は 利口な 民族であった)

    しかし
    アイヌも まるきしバカではなかった
    そうした 和人の仕打ちに
    がまんできなかった勇者は
    奮然として 打ち向かった
    その結果 壮絶な戦いの末に
    和人の域を 攻め落したのだ

    追い込まれた和人は
    最後の武器を使った
    和睦の酒宴と称し
    彼らアイヌに たらふく酒を
    飲ませ 自由を失った 彼らの
    五体を 刀で くし刺きにしたのだ
    そのあげく
    耳をそいで 見せしめとした
     (似ているではないか!どこかの大国がアジアで行なっている
     戦略行為に──あまりにも よく似ている)

    真っ赤な
    どろりとした血
    かって 侵略されるまで
    いや この大地が
    アイヌの天地で あったとき
    けっして流れたことのなかった
    その血は
    それ以後 絶えまなく
    地中へと 吸い取られていった

    いくたび踏みつけられた
    いくたび立ち上がった
    いくたび 血を流された
    いくたび 無念の涙をのんだ
    いくたび 路上でのたれ死んだ
    いくたび 「アイヌ!」 と罵倒された──

    アイヌが 和人から得た物
    それは
    酒 梅毒 結核 その他の伝染病
    劣等感 そして "死" であった

    時は流れ
    緑なした原野は
    畑と化し
    大半のアイヌは
    住むべき土地も家も 失った
    和人の指導者は 言明した
    われらが和人の開拓者には
    土地 十五町
    アイヌには 五町 あげよう
    なんとお慈悲深い 和人ではないか

    しかし アイヌは
    その土地すら 酒にだまし取られたのだ
    文字を持たない
    文字を知らない アイヌの
    悲劇だった──

    そのようなアイヌの中には
    たちまち 路頭に迷う者も出た
    乞食のように 道端にうずくまる彼らに
    石を投げつけ バカにする和人の子等
    膝を抱え 顔も上げぬ
    彼らのうつろな 瞳から
    涙がとめどもなく 流れ出た──
     ‥‥‥

    アイヌの子供たちは
    学校へ行きたがらなかった
    われらアイヌの子にとって
    学校は 地獄にも等しかった
    登校 下校の道すがら
    和人の子等に
    「アイヌ! なんで学校へ来る!」 と
    のしられ 蹴とばされ
    髪の毛を 引っ張られた

    土人 原始人 毛人
    エゾ 外人 いぬ
    われら アイヌ民族に与えられた
    数々の名称
     ‥‥‥

    いまだ 北海道の
    観光用ポスターには
    ワラぶき小屋 丸木舟
    そして アッシを着たアイヌが
    威厳を 誇ってる
    それを見る 観光客は
    われらアイヌに
    「日本語 わかりますか?
    あなた アイヌですか? アイヌ語
    話せますか? 何を食べてるのですか?」
    と 真顔で問う
    なんたる 認識不足 なんたる侮辱

    今の 現代のアイヌは ちがうぞ
    自らの力で
    コンプレックスに 打ち勝ち
    堂々と 社会的地位を 築いている
    文化生活を 電化生活を営み
    若者は皆 近代的な生き方を
    楽しんでいる

    過去は 過去
    まさしく そうであろう
    しかし
    今一度 振り返ってみよう
    アイヌの われら祖先の
    苦難の歴史を──
     ‥‥‥

      貝澤正 (1972)
    北海道の長い歴史のなかで、大自然との闘いを闘い抜いて生き続けてきたアイヌ。
    北海道の大地を守り続けてきたのはアイヌだった。
    もっとも無智蒙昧で非文明的な民族に支配されて三百年
    アイヌの悲劇はこのことによって起こされた。
    アイヌの持っていたすべてのものは収奪され、アイヌは抹殺されてしまった
    エカシ達が文字を知り、文明に近づこうとして学校を作ったが、この学校の教育はアイヌに卑屈感を植えつけ、日本人化を押しつけ、無知と貧困の賂印を押し、最底辺に追い込んでしまった。
     世界の植民地支配の歴史をあまり知らないが、原住民族に対して日本の支配者のとった支配は、おそらく世界植民史上類例のない悪虐非道ではなかったかと思う。
    アイヌは『旧土人保護法』という悪法の隠にかくされて、すべてのものを収奪されてしまったのだ。

    日本史も北海道史も支配者の都合で作られた歴史だ。
     アイヌの内面から見た正しい歴史の探究こそ望ましい。
    敗戦後の教育を受けた若い人々の声が出てきた。
    "正しいアイヌの歴史を" と

    またこのこととあい呼応して、アイヌ民族の生活文化を保護、保存するための資料館を建てたい、と。‥‥‥
    アイヌの血がアイヌを呼び起こしたのだ。
    アイヌの歴史を書き改める基盤ができた。
    資料館を足場として、若いアイヌが闘いの方向を見極め、これからの正しい生きかたの指標としていくことを期待したい。



    引用文献
    • 戸塚美波子 (1971) :「詩 血となみだの大地」
      • 『コタンの痕跡』, 旭川人権擁護委員連合会, 1971. pp.95-107.
    • 貝澤正 (1972) :『近代民衆の記録5 アイヌ』付月報, 1972
      • 新谷行『アイヌ民族抵抗史 増補』, 三一書房, 1977, pp.275,276.