Up | 「強制」のイデオロギー論法 | 作成: 2019-02-12 更新: 2019-02-17 |
その報告書である『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』から, サル場所近郷のアイヌで,運上屋へ稼ぎに出ている者の数 を数えると,つぎのようになる:
そしてその内容は,武四郎の言い方を用いれば
また武四郎は,この断定を補強する趣きで,働き盛りの年齢ながら雇いに出ていない者について,その理由を特に付したりしている (「馬鹿」「気抜」「跛」)。 "アイヌ"イデオロギーは,「アイヌ被虐史」がドグマである。 そこで,「和人がやって来る前の北海道」を「楽園」に仕立てねばならない。 つぎのようなぐあいに:
したがって,アイヌが運上屋に下るということは,自分の意志でやっているはずはない,となる。 強制されているのでなければならない──強制連行だ,──となる。 松浦武四郎も,このような考え方をする者である。 そこで,「 松浦武四郎が嘆いた状況は,商品経済の必然である。 限界集落,核家族,夫婦共働き・保育所・学童保育,のようになる。 しかし,会社勤めをしている者は,強制連行されたのではない。 自分で選んだのである。 アイヌの運上屋勤めも同じである。 「1050人中 362人」の数は,強制連行で成るものではない。 運上屋勤めは,《勤めないか勤めるかが選択肢になったときは,勤めるの方が選ばれる》といったものなのである。 残された者は,世を恨む。 下った者は,けっこうよろしくやっている。 松浦武四郎は,前者の生態には深く関心を持ったが,後者には関心を持たなかった者である。 要するに,社会派の正義漢であった。 そして彼のこの面が,"アイヌ"イデオロギーを引きつけてきた。 ── "アイヌ"イデオロギーは,松浦武四郎の『近世蝦夷人物誌』の中の話の引用,ないしそれを脚色した物語づくりを,常套にしている。
|