- 著書
- 『アイヌの叫び』, 北海道出版企画センター , 1984
- 『続 アイヌの叫び』, 北海道出版企画センター , 1990
- 加藤好男編・発行『荒井源次郎遺稿 アイヌ人物伝』, 1992.
九九二年)
- 「荒井源次郎上京日誌」, 1932.
- 小川正人・山田伸一(編)『アイヌ民族 近代の記録』, 草風館, 1998. pp.22-31
- 生まれた時代
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山田秀三 (1982), p.236
〔荒井源次郎翁の話〕
「雨竜は熊の多い処で、上川アイヌのイウォロ (縄張り) のようなものだった。
但し鹿は余りいないので、鹿狩りには北見の方に行ったものである。
私の親爺の荒井ケトレチナイと友達の今井ユルサノさんが熊狩りのウトゥラピリカ (好同行者) で、まだ子供だった私も時々連れて行かれました。
雨竜に行くには江丹別を溯って行きます。
上って行くと川が二股になっていて、狩りの時には右股を上り、魚や山菜を取りに行く時には左股を上ったのでした。
マタルークシベツ [冬・道・通っている・川] といったのは、狩りに行った時の右股だったと思います。
冬猟だと、雪が来る前に江丹別から山越えして雨竜に入り、雪が積もらない前に然るべき処に椴松の葉で小屋掛けをして根拠地を作ることから始めた。
それから幌加内、添牛内、古丹別等の広い土地で狩りをした。
何しろ長い間なので食料を持って行くわけに行かない。
塩等を少し持って行き、熊が捕れる迄は小動物を捕えて食べ、山菜をとって食べたりしていたものでした」
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- "アイヌ"運動
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荒井源次郎『アイヌの叫び』, p.217
アイヌ侮辱の業者ポスター
アイヌに関連した事件が相次ぎ、一般的にも論議を呼んでいるのをよそに、東京・新宿の百貨店で十月十八日から三十日までの期間、函館市物産協会主催で「北海道うまいもの大会」を開催中、店内外に掲示したポスターにアイヌのしゅう長がサケをもち、過去にも見られないアイヌ図柄を使って宣伝に努めていた。
これをたまたま上京中の道ウタリ協会の代表者たちが発見、早速、同店を訪れ、抗議した。
「ポスターに描かれているようなアイヌ風俗は昔も今も存在しない。
全くでたらめな宣伝で錯誤もはなはだしい」とその撤去方を強く要求した。
これに対し、主催者側責任者名で陳謝文を手交、その場で使用中の約百枚のポスターを撤去した。
道内外で、この種の和人業者はアイヌ像を利用、アイヌを売りものにしているやからが多い。
野放しにしていたらどんなことになるか、嘆かわしいことだ。
こんなことではいつまでたってもアイヌは誤った認識で見られ、相互の理解を深めるに大きな障害を来すことは自明の理だ。
このような心ない和人業者によってアイヌが侮辱され、差別されるのは人道上の重大問題であって、断じて許せない。今後この種の業者の反省と自粛を強く望む。
〈北海道新聞 昭和四十九 [1974] 年十一月十三日〉
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同上, p.102
北海道を訪れる観光客はきまって観光アイヌ地を訪れる。
そこには見世物的自称酋長と古風なアイヌの家屋が見られる。
今日では市町村までがこれらの偽酋長をしていわゆる官製観光アイヌというか、広く宣伝に利用しその利益を得ているのが実状で、自称酋長の勢力にますます拍車をかけている。
もちろん偽酋長これに追従する観光アイヌたちにしても、所詮生きんがために選んだ職業に外ならないが、しかしこうした一部ウタリ (同族) の所業から多くのウタリは著しく迷惑を蒙っていることから、利害の相反するウタリの両者が相反目しいざこざが起きるのは当然なことである。
しかも北海道の紹介や観光案内のパンフレットを見ると、アイヌを侮辱的偏見だらけの紹介が多い。
これもやはり観光客誘致の業者宣伝でアイヌを利用しているに過ぎない。
現に道内外にこの種の業者がアイヌを利用アイヌを売りものにしている。
こんな輩を野放しにしていたらどんなことになるか嘆かわしいことである。‥‥‥
〈『北風林』第八号 昭和五十五 [1980] 年八月二十日〉
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- 参考/引用文献
- 荒井和子 (1993) :『焦らず挫けず迷わずに エボカシエカッチの苦難の青春』, 北海道新聞社, 1993.
- 山田秀三 (1982) :『ルベシベ物語』
『山田秀三著作集 アイヌ語地名の研究 2』, 草風館, 1995, pp.225-343.
- 参考Webサイト
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