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高橋真 (1946), p.240
覚醒の父 伏根弘三翁
十勝アイヌが生んだ英傑伏古コタンの故伏根弘三翁はアイヌ覚醒の父であった。
『始り、終り』でアイヌが瞞されるのも、みんな読書、そろばんの出来ぬ為だと明治二十八年帯広市大通五丁目辺に私財を投じて「アイヌ学校」を建て、同族子弟を教育したり「ウタリーよ、、酒に呑まれるな!!」と禁酒会をつくったり、同族の更生はキリスト教以外にはないと喝破し白からも基督教徒となってウタリーに洗礼を受させたり、同族の為に内地を講演して歩いたり、大臣西郷従道に親しく面接し旧土人保護法の適正なる運営を痛論したりまた大阪で見世物になってゐるアイヌの一団を救ったり、血みどろな苦斗を続けたのである。
併し伏根翁の晩年は余りにも悲惨で柱と頼む長男も、そして長女も妻のシモさんもみんな夭折した。
此の時翁の財産はみんな失ってゐたのである。
敗残の痛める老軀を訪ねる人とてなき陋屋に淋しく横たへて、帯広市の救護を受ねばならなかった。
その強すぎる気象は同族からも裏切られて、遂に昭和十三年二月一日六十五歳を一期に此のアイヌ不世出の大英傑は逝去したのである。
今翁の功を賛へる人々によって彰徳碑の建設の計画が進められてゐる。
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貝澤藤蔵 (1931), pp.388,389
本年の八月二日北海道の首都札幌に於て第一回の全道アイヌ青年大会がジョンバチエラー氏の肝入りで催されました。
此の会に馳せ参じたものはウタリ (同族) 中最も智識ある男女七十有余名。
私等が嘗て新聞紙上に読んだ事のある水平社大会に於ける悲痛な叫ぴ、激越なる呪ひの声こそ無かったけれど、何れも熱と力の篭った正義の叫ぴが挙げられました。
其れは社会に向ってと云ふより眠れるウタリに伝ふ覚醒の暁鐘と云ふ様なものです。
‥‥‥
交々壇上に叫ばれる熱火の弁、起きよ、覚めよ、奮へよの雄叫び。
殊に異彩を放ちしは此青年大会に十勝国伏古より馳せ参ぜし八十有余の伏根エカシ、真白なる長髯を胸前にしごきつゝ,アイヌ人を滅するものは酒である、若きウタリ等よ──、酒を廃せ !!,禁酒の二字を明瞭に頭に刻み込んで起たう!と喝破された事でした。
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- 参考文献
- 貝澤藤蔵 (1931) :『アイヌの叫ぴ』, 1931
- 所収:小川正人・山田伸一(編)『アイヌ民族 近代の記録』, 草風館, 1998. pp.373-389.
- 高橋真 (1946) :『アイヌ新聞』第二号, 1946
- 所収:小川正人・山田伸一(編)『アイヌ民族 近代の記録』「アイヌ新聞」, 草風館, 1998. pp.234-276
参考Webサイト
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