貝沢正の<進化>グラフは,《イデオロギーに嵌まる》である。
イデオロギーに嵌まる前の貝沢正は,つぎのような考え方をする者であった:
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菅原幸助 (1966), pp.124,125
[貝沢正の言]
ワジは家も新築した。
こどもは東京の大学に入れることができた。
もう経済的には自立経営ができる自信がついた。
おかしなもので経済力があると、パカにしていたシャモも「アイヌだ」という差別をしなくなるのです。
けれども、ヮシが差別されなくとも、一般的にアイヌが不当な扱いを受けている現状では、やはり、生活に困らなくとも同じ悩みをもっているといえます。
生活にゆとりができたら、ワシたちのウタリの厚生運動、いや、社会を明るくする運動を進めなければ──
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須川光夫 (1969)
[貝沢正の言]
p.9.
矢っ張り、アイヌ問題を解決するためには、我々、経済的に豊かになって、自立して強くなること、それから教養を身につけて社会的地位を高めること、アイヌ問題を解決するためにはこの二つしかないと思うんです
p.14
もう、多くのアイヌ人は、一人一人が強くなって、自分の生活を守って逞しく生きて行く、そういう考え方になって来ているんですよ
pp.16,17
若い人にすれば、本当にもどかしいと思うんですね。
何故これだけ差別されて、迫害されて、長い間何故抵抗しなかったのか。‥‥‥
そういう歴史の中で、諦めが我々アイヌ人の血の中に染み込んでしまったんです。‥‥‥
そういう者に、革命だ、何だって言われても、分かるわけがないんですよ。
特に、今の若い人達はすべて自分で判断して生きていける時代に生まれてきているからいいんですけど、経済的に根こそぎにされて、教育も皇民化するための教育を受けてきた昔の人達にとっては、そんなこと言われたって、かえって反発するだけですよ。
p.20
島国根性というのがなくならないと同じように、如何に文明が発達したからと言って、アイヌのコタン的性格と言うのは一朝一夕には解消されませんよ。
これははっきりしていますよ。
矢っ張り、解決するためには時代とか、教養が重要だと思うんですけどね。
そう思いませんか
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これが,1970年前後を境に,つぎのように変わる。
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貝澤正 (1971), pp.125,126
私は自らの意見も言わず、例を述べるに過ぎないが共感を得たものを列記した。
もう一つ、十勝の女子高校生の稿をお借りして新しいアイヌの考えを知ってもらいたい。
『歴史を振り返ることによって真の怒りを持つことができる。
「差別されたから頭に来た、あいつらをやっつけたい」
それはそれだが、そんな小さな問題に目を向け右往左在しているだけでは駄目だ。
私たちがアイヌ問題を追って行く時突き当る壁は同化ということだ。
明治以来の同化政策の波は、もはや止めることはできないだろう。
私は、何とか、アイヌの団結でシャモを征服したいものだと思った。
アイヌになる。
北海道をアイヌのものにできないものか。
だが、アイヌの手に戻ったとしても差別や偏見は残るだろう。
やはり、根本をたたき直さねばならないのです。
アイヌは無くなった方がよいという考え方、シャモになろうとする気持が、少しぐらいパカでもいいからシャモと結婚するべきだと考えている人が多いと思う。
私の身近でも、そういう人が随分いる。
私はこのような考え方には納得できない。
シャモに完全に屈服している一番みにくいアイヌの姿だと思う。
これは不当な差別を受けても "仕方がないのだ " と弱い考え方しかできない人たちなんだと思う。
アイヌだから、差別されるから、シャモになった方が得なんだと言うなら、それは悪どい、こすいアイヌだ。
なぜ差別を打倒しないのか。
なぜ、アイヌ系日本人になろうとするのか。
なぜアイヌを堂々と主張し、それに恥ることのない強い人間になれないのか。
どうしてアイヌのすばらしさを主張しようとしないのか?
私は完全なアイヌになりたい。
個人が自己を確立し、アイヌとして真の怒りを持った時、同化の良し悪しも片づけることが出来ると思う。
強く生きて、差別をはね返す強い人間になることだ。』
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怨念
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貝澤正 (1972)
北海道の長い歴史のなかで、大自然との闘いを闘い抜いて生き続けてきたアイヌ。
北海道の大地を守り続けてきたのはアイヌだった。
もっとも無智蒙昧で非文明的な民族に支配されて三百年。
アイヌの悲劇はこのことによって起こされた。
アイヌの持っていたすべてのものは収奪され、アイヌは抹殺されてしまった。
エカシ達が文字を知り、文明に近づこうとして学校を作ったが、この学校の教育はアイヌに卑屈感を植えつけ、日本人化を押しつけ、無知と貧困の賂印を押し、最底辺に追い込んでしまった。
世界の植民地支配の歴史をあまり知らないが、原住民族に対して日本の支配者のとった支配は、おそらく世界植民史上類例のない悪虐非道ではなかったかと思う。
アイヌは『旧土人保護法』という悪法の隠にかくされて、すべてのものを収奪されてしまったのだ。
日本史も北海道史も支配者の都合で作られた歴史だ。
アイヌの内面から見た正しい歴史の探究こそ望ましい。
敗戦後の教育を受けた若い人々の声が出てきた。
"正しいアイヌの歴史を" と。
またこのこととあい呼応して、アイヌ民族の生活文化を保護、保存するための資料館を建てたい、と。‥‥‥
アイヌの血がアイヌを呼び起こしたのだ。
アイヌの歴史を書き改める基盤ができた。
資料館を足場として、若いアイヌが闘いの方向を見極め、これからの正しい生きかたの指標としていくことを期待したい。
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この変身は,なんなのか。
不思議でもなんでもない。
その時代は,そんな時代だったのである。
正義が流行り,そしてその正義は抵抗・反抗の側に立つことだったのである。
熱はやがて冷め,ひとはイデオロギーから離れる。
しかし,この間に自らを引っ込みのつかない身にしてしまった者は,イデオロギーの者としてその後を生きていかねばならない。
貝沢正は,このような者たちの一人となった。
引用文献
- 菅原幸助 (1966) :『現代のアイヌ』, 現文社, 1966.
- 須川光夫 (1969) :「札幌東高等学校歴史学研究同好会生徒と鳩沢佐美夫の対談・そのIII (1969)」
- 須貝光夫/編『コブタン』27号 (特集・鳩沢佐美夫 II), 2006
- 貝澤正 (1971) :「近世アイヌ史の断面」
- 『コタンの痕跡』, 旭川人権擁護委員連合会, 1971. pp.113-126
- 貝澤正 (1972) : 『近代民衆の記録5 アイヌ』付月報, 1972
- 新谷行『増補 アイヌ民族抵抗史』収載, pp.275,276.
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