Up 貝澤正 : 同族の捉え 作成: 2017-03-17
更新: 2017-03-17


      須川光夫「札幌東高等学校歴史学研究同好会生徒と鳩沢佐美夫の対談・そのIII (1969)」
     須貝光夫/編『コブタン』27号 (特集・鳩沢佐美夫 II), 2006
    pp.8,9.
    貝沢正
    差別問題というのは、人種的な違いがあるから差別するということだけではないと思うんだよね。
    ‥‥‥アイヌも経済的に強くなって、教養が身について社会的な地位が向上すれば問題が解決すると思うんですよ。
    観光アイヌがいるから差別されたり、偏見の目でみられたりして、そのために多くのアイヌが迷惑しているとかということはあり得ないと思うんですよ。
    ‥‥‥教養がないということは、文化から遅れるということになると思うんです。
    北海道百年前に、やっと、法律の上だけですけど人並みの付き合いが出来るようになったけど、現実には、差別は依然として続きましたからね。 戦前にはひどい差別がありましたからね。 それが戦後新憲法が公布されて、少しは緩和された面もありますけどもね。 差別や偏見は依然として跡を断ちませんからね。
    矢っ張り、アイヌ問題を解決するためには、我々、経済的に豊かになって、自立して強くなること、それから教養を身につけて社会的地位を高めること、アイヌ問題を解決するためにはこの二つしかないと思うんです」
    pp.12,13
    貝沢正
    ‥‥‥そういう歴史の中で、我々三百年の間ずっと自主的に事を決めることが出来なかったわけなんです。 そうした武力と権力でもって抑えつけられて来た長期に渡る屈辱の歴史の中で我々アイヌ人の人間像が出来上がったんです。
    明治になって、四民平等ということで、やっと法的には同じ日本人だということで平等にになったんですけれどね。 しかし、生活のレベルも、風俗文化も違っていたから、自分で自分のことをしようと思っても出来なかったわけです。 シャモが差別するだけでなく、アイヌ自ら卑屈になってしまい、何百年も血の中に卑屈感が入り込んでいたわけなんです。 我々、狩猟民族でしたからね。 一切合切、シャモの指導を受けなければ生きてゆけませんでしたからね。
    それでシャモに差別されても益々卑屈になってしまい、抵抗出来なくなったんです。 それで、何百年もの問、卑屈感がわれわれの血の中に入り込んでしまったわけなんです。」
    pp.20
    貝沢正
    島国根性というのがなくならないと同じように、如何に文明が発達したからと言って、アイヌのコタン的性格と言うのは一朝一夕には解消されませんよ。 これははっきりしていますよ。
    矢っ張り、解決するためには時代とか、教養が重要だと思うんですけどね。 そう思いませんか」
    pp.21
    貝沢正
    昔のアイヌの男は神様にお祈りすることと外に出て猟をする位で、あとは仕事がない、それ以外は家の中にいて居眠りして、女に育てられていた。 そういう長い歴史の中で培われたものというのは一寸‥‥‥。
    しかし、能力とか器用さは和人よりずっと上ですね。 例えば、アイヌは土地がなかったからね、木材山に行って、飯場生活しながら働くでしょう、その時危ない所とか、器用な仕事、例えばね、トビを使ってやるような仕事、リーダーとなって、先頭に立ってやるのは全部アイヌですわ、手先の器用さはシャモよりずっと優れていますね。
    しかし、我々には、昔から白然に溶け込んで生活してきでいるためにね、ある時聞から時間まで一つの枠に填められてやるとか、サラリーマンのように、死ぬまでそこで仕事をしているということが不得手というか、ないんですね。
    自然の中で、自然のままに、自分が気が向いた時にやるんですよ。

      貝沢正「アイヌモシリ,人間の静かな大地への願い」(1991)
    『アイヌわが人生』, 岩波書店, 1993. pp.247-276.
    pp.261,262.
     「開発」というのは自然破壊だからね。ちっともよくない。
    アイヌにすれば。昔は豊かではないけれど精神的な豊かさは持っていたわな。食うことの心配はないだろうし、仲間同士の意識もはっきりとつながっていただろうし。
    ところがこの私有財産制というのを押しつけられて、今のアイヌは変わってきているんでないだろうかな、残念ながら
    自然保護する、自分の周りをよくしようなんて考え方がなくて、やっぱり、なんちゅうかね、シャモ的な感覚に変わってきた。
    もっと悪いというのは、教育受けてないから教養がない
    例えば萱野(茂) さんと主張しているダム問題にしたって、理解してもらえるのは (アイヌではなく) むしろシャモのインテリの人でしょう。
    チフサンケ (舟おろし) のお祭りにしたって、二風谷の祭りでなくよその祭りだって言われてる。 二風谷の人が何割かしか出てないんだよ。
    どこかやっぱり、表だっていう事に対して反感が地元にある。
    昔のアイヌというのは、例えば門別の奥だとか、鵡川(むかわ)の奥あたりでも不幸が出たら、必ず悔みに行くんだよ。 コタンから一族郎党引き連れて、三日ぐらいかかるんだよ。 お祭りがそうだし、お祝いがあったってそうだし。 そういうつきあいだけでも、働く暇がないくらいさ。