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須川光夫「札幌東高等学校歴史学研究同好会生徒と鳩沢佐美夫の対談・そのIII (1969)」
須貝光夫/編『コブタン』27号 (特集・鳩沢佐美夫 II), 2006
pp.13,14
貝沢正
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‥‥‥それから、もう一つ、団結がどうして出来ないのかということですけどね。
北海道があまりにも自然に恵まれ過ぎていて、大きな集団でなくても生きてゆけたわけなんです。
‥‥‥そんなわけで、アイヌがバラバラになって、団結する事が出来なくなったと思うんです。
しかも、アイヌは一万五千人とか二万人とか言われていますけどね。
全道に散らばっていますからね。
これ纏めるったら大変なんですよ。
‥‥‥
だからね、今後の方法というのは、さっき言ったように、一人一人が経済力付けて自立し、教養を高めて社会的地位を高めてゆくという方法しかないわけなんです。
さっき誰かが話された社会改革まで持って行かなければ人種差別だとか、経済的に弱い者を差別するという意識はなくならないということについてですが、そういう理想社会は、共産主義社会を確立して、国家を根本から変えてゆかなければ成立しないと思うんだよね。
しかし、現在の状況の中では、一人一人が自分の生活を守って強くなることしか、解決の方法はないと思いますよ。
二万前後のアイヌが亡びるとか、亡びないとか、そんなことを問題にしているの、おかしいと思うんだよね。
もう、多くのアイヌ人は、一人一人が強くなって、自分の生活を守って逞しく生きて行く、そういう考え方になって来ているんですよ」
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pp.16,17
貝沢正
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若い人にすれば、本当にもどかしいと思うんですね。
何故これだけ差別されて、迫害されて、長い間何故抵抗しなかったのか。‥‥‥
そういう歴史の中で、諦めが我々アイヌ人の血の中に染み込んでしまったんです。‥‥‥
そういう者に、革命だ、何だって言われても、分かるわけがないんですよ。
特に、今の若い人達はすべて自分で判断して生きていける時代に生まれてきているからいいんですけど、経済的に根こそぎにされて、教育も皇民化するための教育を受けてきた昔の人達にとっては、そんなこと言われたって、かえって反発するだけですよ。」
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小川隆吉『おれのウチャシクマ』, 寿郎社, 2015.
p.135.
俺は貝沢さんに理事長になって欲しいと思っていた。
貝沢さんは徹底したアイヌ精神の持ち主だったからだ。
特に中国に視察に行ってきてからが、言うことやすることに迫力が加わった。
モンゴルだとかの少数民族と交流してきたんだ。
旧土人保護法に対する批判が鋭くて徹底していた。
アイヌの仲間に対しては悪口は言わないで、良いところははっきりと評価した。
俺は、理事会などで貝沢さんの顔を見ると安心したものだ。
人間としての目標だとも思っていた。
ある時、札幌市の教育委員会が貝沢さんに一生のことを話して欲しいといって生活館で話を聞いたことがある。
その時俺も一緒したが、テーマをはっきりと決めて淡々と話を進めた姿を今でも忘れない。
「アイヌ史』を作ろうと言ったのも貝沢さんだ。
貝沢さんが亡くなったのがほんとに惜しい。
貝沢さんがウタリ協会の理事長になれなかったのは道庁の意向があったからだと思う。
今でもそう思っている。
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