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久保寺逸彦 (1956), pp.156,157
かつて私は、一九三一(昭和六)年の夏、日高・平取の平村コタンピラ (一八六三、文久三年生まれという) 老伝承詩人から「Naukep-kor-kur (毒鉤の魔神)」というユーカラを筆記したことがあったが、長い夏の日、朝は七時ころから、暗くなるまで、昼飯ぬきで書きつづけて (筆記できる程度で、節なしで、ゆっくり言ってもらったので、実際の演奏よりは、はるかに手間どる)、五日もかかって、やっと書き終えた経験がある。
一句一句のラインを数えて見たら、三万千余行もあって、いまさらのように驚いたのであった。
ことの序でに、コタンピラ翁に、知っているユーカラの題目 aekirushi を訊ねて見ると、ざっと二十余曲、これを筆記するとしたら、二、三年続けて書いても書き了えられるかどうかというほどの量である。
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引用文献
- 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
- 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977
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