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砂沢クラ (1983)
p.120
精華女学校が分教室を開いた日曜学校は、アイヌ学校のすぐ向かいにあって、金成マツさん (ユーカラ伝承者、キリスト教聖公会伝道師 一八七五〜一九六一) が先生をしていました。
日曜学校の建物は普通の和人の一階建ての家で、玄関を入ると廊下をはさんで右手に八畳間の和室の教室が二つ、左手に金成さんと養女の幸恵さん (「アイヌ神話集」の著者、知里真志保の姉、一九O三〜一九二二) が住んでいた六畳間と台所、フロがありました。
p.124
金成さんのお母さんのモナシノウクフチが遊びに来ていて、母がフチに「ユーカラを聞かせて」と何度も頼んだのですが、フチは恥ずかしがってなかなか始めません。
すると、幸恵さんが「じゃあ、私がする」と言って、座布団をまくらにしてあおむけに寝てユーカラを始めました。
フチが「起きてしなさい」と言って、幸恵さんを起こしていた姿がいまも目に浮かびます。
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- 引用・参考文献
- 砂沢クラ (1983) :『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983
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