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太田竜「アイヌ共和国独立の展望」, 1973.
太田竜『アイヌ革命論』収載,pp.284-352
p.284
‥‥‥ アイヌ民族精神抹殺作戦の最高指揮官高倉新一郎 ‥‥‥
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太田竜「アイヌ共和国独立の夢想」, 1972.
太田竜『アイヌ革命論』収載,pp.189-207.
pp.203-205
1972年6月25日。
平取町ニ風谷のアイヌ部落に、この日、アイヌ文化資料館が完成し、全道のアイヌ同胞が歓び集まる。
① 金田一京助 (故人)
② ジョン・パチラー (故人)
③ 久保寺逸彦 (故人)
④ 高倉新一郎。
⑤ 河野常吉 (故人)
⑥ 河野広道 (故人)
⑦ 本道 の三代。
⑧ 更科源蔵。
⑨ 奥山亮。
⑩ 藤本英夫。
⑪ 林善茂。
⑫ 犬飼哲夫。
⑬ 児玉作左衛門。
⑭ 名取武光。
この十四人が、アイヌの味方のような顔をしてアイヌ文化滅亡の仕事を推進して来た和人専門家、学者の主たる顔ぶれである。
彼らは、権力・北海道庁の下請け機関「アイヌ文化保存対策協議会」、「北大北方文化研究所」,「北方資料室」へと、「滅びゆくアイヌ」の「資料」を集中した。
血を抜き取るのと同じことで、彼らのところに、「学問的業績」が蓄積されるにつれて、アイヌ同胞から固有の文化、が失なわれてゆく。
「アイヌ文化保存対策協議会」は、1970年、児玉、犬飼、高倉の監修のもとに、『アイヌ民族詰』(8000円) という豪華決定版を出版した。
この中に、アイヌのすべてが「保存」されている。
いわばそれは征服者和人文明専門学者による、滅びてしまったアイヌ民族の死体解剖書というべきであろう。
勿論、彼らは、この死体が生き返ることを欲しない。
アルコールづけになって、それが博物館の中に陳列されていることが彼ら「学者」にとって必要なのである。
(『アイヌ民族誌』78頁で高倉は書く。
「 |
社会的な人種偏見はなおすべて解消したわけではないが、アイヌ問題はもはや人種、民族の問題としてではなく、むしろ社会経済的な偏境に住むが故の貧困の問題としてとらえねばならない時期にきている」)。
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だから,アイヌ民族の復活・よみがえりのためには、これらの「アイヌ専門家」たちの全権威、全権力の否定と激烈な拒否から出発しなければならないのである。
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アイヌ解放同盟 (代表 結城庄司),北方民族研究所 (代表 新谷行) 連名
「第26回 日本人類学会, 日本民族学会連合大会のすべての参加者に対する公開質問状」(1972)
太田竜「アイヌ共和国独立・夢と展望」(1972) (太田竜『アイヌ革命論』に収載. pp.208-225 ) に「全文引用」とあるのを,孫引き.
本大会の大会委員に名をつらねている高倉新一郎、更科源蔵は、北海道アイヌ専門学会の代表的指導者である。
彼等は、くり返し、アイヌ民族はすでに滅亡しており、日本民族の中に同化しきっている、と明言している。
本大会のアイヌ問題についての討議は、アイヌ民族は亡びている。
或いは亡ぼすべきである、という原則に立って行なわれるのか。
それとも、原始共産制に生きたアイヌ社会は、アメリカ大陸におけるインディオと同じく、尚生きており、滅びることを相否しており、征服者たる日本国家に対決している、という認識に立って行なわれるのか。
この点を質問する。
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太田竜「アイヌ共和国独立・夢と展望」, 1972.
太田竜『アイヌ革命論』収載,pp.208-225
pp.223-225
北方民族研究所が、平取町二風谷アイヌ文化資料館完成への祝辞として、「全道アイヌ同胞へのメッセージ」を発した。
その一部を引用する。
全道アイヌ同胞へのメッセージ
アイヌ文化資料館の完成、開館に当って、アイヌ部族独立の機運促進を目的として一九七二年五月に設立された北方民族研究所から、お祝いのあいさつを、会道のアイヌ同胞に送ります。
しかし「お祝い」ばかりですましているわけにもゆかないのです。
なぜなら、私たちは、多年に渡ってアイヌ部族を精神文化の領域で絞め殺して来た和人のアイヌ専門学界という巨大な敵との闘争を、いま始めたばかりなのですから。
私たちは、次の十三人の指導的な和人アイヌ専門家を、アイヌ部族に敵対したA級侵害犯罪人として指名します。
1、故河野常吉
2、故河野広道
3、河野本道
4、故金田一京助
5、高倉新一郎
6、更科源蔵
7、藤本英夫
8、故久保寺逸彦
9、故児玉作左衛門
10、名取武光
11、奥山亮
12、犬飼哲夫
13、林善茂
金田一京助が生涯の仕事としてやったユーカラの研究とは一体何でしょう。
アイヌ部族のユーカラ伝誦の活動を「安楽死」させ、そして死体の解剖報告書を、征服者たる日本帝国にささげること、これです。
‥‥‥‥‥‥
一九四五年八月十五日、日本帝国は敗れました。
そしてそのとき、全道のアイヌは解放の喜びに充ちあふれ、アイヌ部族独立ののろしが挙げられたのです。
この志を、私たちは受けとめようと決意しました。
‥‥‥ 一九七二年六月二二日
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「学者たち」に警告しておく。
詩人新谷行と私によって起草されたこの北方民族研究所宣言は、必ず、着実に実行に移される、ということを。
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