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知里真志保 :『アイヌ語入門』, 1956
pp.16,17
それならば,なぜ,「ケイセイセイ」はルンセなどというあらぬ語形を持ち出して来たのであろうか?
実は,クシロ地方でただ一人,ハルトリ [春採] の部落の有力者であるYという人が,この地方では輪舞をルンセというのが正しいと主張しているのである。
この人はまだ50才になるやならずの人であるが,興行用に伸ばしたたくましいヒゲの故に,よく「アイヌの古老」あつかいをされる。
そのY氏が,頑強に,
「おれの死んだ親父が,このハルトリのことばでは
輪舞をルンセというのだ,と教えてくれた」
といい張って譲ろうとしないのである。
しかし,ハルトリ生れの婆さんたちは,Y氏のけんまくに恐れをなして,声をひそめながらも,
「Yさんはルンセだといい張るけれども,私たちは幼い時から
リムセとばかりいったり聞いたりして育って来たんだ」
と,たがいに顔を見合わせて,ひそかにささやきかわしているのである。
われわれの「ケイセイセイ」は,この可憐な老婆たちの,つつましやかな,遠慮がちのささやきに耳を借そうともせず, ゴオゼンと胸を張って主張するY氏の学説 (?) を鵜呑みにして,「ルンセ」だとか,「サロルンルンセ」だとか「チロンヌップルンセ」だとか,「パッタキルンセ」だとか,'ルンセ・オンパレード' で,ありもせぬアイヌ語の題目を羅列して見せたわけである。
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鳩沢佐美夫 : 「対談「アイヌ」」, 1970.
pp.184,185
僕は、過去三年間、調査とまではいかないが、道南を中心にしたA [阿寒]湖畔、B [登別]温泉、C [白老]アイヌ部落と足を運んでみた。
その結果ね、この現状では、やがて観光アイヌというものも和人に凌駕されてしまうな、という気を強くした。
‥‥‥
それとA湖畔では、言語や動作に、明らかにアル中症状を現わしているような男が酋長格で控えていたり。
‥‥‥
僕のおふくろね、一度だけA湖畔の見世物小屋に駆り出されたことがあるんだ。
そのとき、一緒に行った人たちが "豊年踊り" とかいって奇妙な踊りを始めたそうだ。
怪訝に思ったおふくろはね、「どこにこのような踊りがあるんだ?」とたずねた。
ね、すると、「エバタイシサンアトヘマンタエラマンワ、オカンキロアキロ (馬鹿な和人たち、何かわかるものでもあるまいに、適当にやりゃいい) ──と、連れていってくれた、専業の人に言われたという──。
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