『二風谷』「第3章 二風谷歴史年表」から抜き書き:
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1929 |
小学校,二学級編成となる。児童数79名 |
1930 |
人口447人 (内和人166人, 37%)
マンロー,アイヌ研究のため4か月滞在。) |
1931 |
マンロー,平取に転籍し,二風谷で無料診療所開設。
貝沢正,全道アイヌ大会 (バチェラー主催) に参加。
凶作で畑作平年の5分以下。 |
1932 |
2年連続凶作。生活困窮者続出。多くが造材山に入る。
マンロー,自宅建築中,仮泊住居全焼。 |
1934 |
冷害。
貝沢与次郎,乳牛飼育を始める。 |
1935 |
人口649人 (内和人276人, 43%)
8/24 沙流川氾濫,凶作と水害で生活困窮を極める。 |
1938 |
徐州戦線に,貝沢福市,貝沢松太郎,二谷忠幸出征。
二谷忠幸戦死。貝沢松太郎戦傷。 |
1941 |
二風谷小,平取村立二風谷国民学校と改称。 |
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引用/参考文献
- 二風谷部落誌編纂委員会『二風谷』, 二風谷自治会, 1983.
- 本多勝一 (1988) :「「北海道アイヌ」こと貝沢正氏の昭和史」
- 収載:本多勝一『先住民族アイヌの現在』, 朝日新聞社, 1993. pp.75-94.
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