Up 昭和初期から大戦開始の頃まで 作成: 2020-02-16
更新: 2020-02-16


    『二風谷』「第3章 二風谷歴史年表」から抜き書き:
     
    1929 小学校,二学級編成となる。児童数79名
    1930 人口447人 (内和人166人, 37%)
    マンロー,アイヌ研究のため4か月滞在。)
    1931 マンロー,平取に転籍し,二風谷で無料診療所開設。
    貝沢正,全道アイヌ大会 (バチェラー主催) に参加。
    凶作で畑作平年の5分以下。
    1932 2年連続凶作。生活困窮者続出。多くが造材山に入る。
    マンロー,自宅建築中,仮泊住居全焼。
    1934 冷害。
    貝沢与次郎,乳牛飼育を始める。
    1935 人口649人 (内和人276人, 43%)
    8/24 沙流川氾濫,凶作と水害で生活困窮を極める。
    1938 徐州戦線に,貝沢福市,貝沢松太郎,二谷忠幸出征。
    二谷忠幸戦死。貝沢松太郎戦傷。
    1941 二風谷小,平取村立二風谷国民学校と改称。



    引用/参考文献
    • 二風谷部落誌編纂委員会『二風谷』, 二風谷自治会, 1983.
    • 本多勝一 (1988) :「「北海道アイヌ」こと貝沢正氏の昭和史」
      • 収載:本多勝一『先住民族アイヌの現在』, 朝日新聞社, 1993. pp.75-94.