Up 白老町 作成: 2017-01-06
更新: 2017-01-06


     違星北斗 (1901-1929)
     『違星北斗遺稿 コタン』(草風館, 1995)
     
    白老のアイヌはまたも見せ物に 博覧会へ行った 咄! 咄!!
    白老は土人学校が名物で アイヌの記事の種の出どころ
    芸術の誇りも持たず 宗教の厳粛もない アイヌの見せ物
    見せ物に出る様なアイヌ彼等こそ 亡びるものの名によりて死ね
    聴けウタリー アイヌの中からアイヌをば 毒する者が出てもよいのか
    酒故か無智な為かは知らねども 見せ物として出されるアイヌ

     知里真志保 (1909-1961)
     『アイヌ民譚集』(1937), 岩波書店 (岩波文庫), 1981.
     
    p.167,168
     普通にいわゆる「アイヌ」という概念は, 厳密にこれをいうならばよろしく「過去のアイヌ」と「現在(および将来)のアイヌ」とに区別せらるべきである.
    人種学的には両者はもちろん同一であるにもせよ, 各々を支配する文化の内容は全然異る.
    前者が悠久な太古に尾を()く本来のアイヌ文化を背負って立ったに対し,後者は侮蔑と屈辱の附きまとう伝統の殻を破って,日本文化を直接に受継いでいる.
    だから,「過去のアイヌ」と「現在(および将来)のアイヌ」との間には, 截然たる区別の一線が認識されなければならないのである.
    普通に「アイヌ生活」とか「アイヌ民俗」とかいえば,必然的に「過去のアイヌ」の生活や習俗を意味すべきはずなのに, とかく「現在のアイヌ」のそれのごとく誤解されがちなのは, 当然に区別さるべき二概念が,「アイヌ」なる一語によって、漫然と代表せられていることに起因する.
     ‥‥‥
     かくて,今日においてもなお,案外に多くの人々が,アイヌとさえ聞けば,いまだに熊と交渉を()って,文献の示すがごとき原始的な生活を営んでいるものと想像し,アイヌ民族に関して何か書く所があれば,それが直ちに現在の生活であるかのごとく思惟してしまう.
    例えば今でも男は(にれ)の皮糸で織ったアツシなるものを(まと)い,女は口辺に入墨を施し,熊祭の行事を営み,鮭や熊の肉を主食物となし,暇さえあれば詩曲(ユーカラ)聖伝(オイナ)を誦し合って,老も若きも例外なしにアイヌ語の中に生活しているものと思い決めてしまう.
     しかしながら実際の状態はどうであったか.
    なるほどいまだに旧套を脱しきれない土地もあるにはある.
    保護法の趣旨の履違えから全く良心を萎縮させて,鉄道省あたりが駅頭の名所案内に麗々しく書き立てては吸引これ努めている視察者や遊覧客の意を迎うべく,故意に旧態を装ってもって金銭を得ようとする興業的な部落(ぶらく)も二,三無いでは無い.
    けれどもそれらの土地にあってさえ,新しいジェネレーションは古びた伝統の衣を脱ぎ捨てて,着々と新しい文化の摂取に努めつつあるのである.


  • 参考文献
    • 本多勝一「アイヌ民族復権の戦い──野村義一氏の場合」(1989)
        in 『先住民族アイヌの現在』, 朝日新聞社, 1993. pp.101-136.

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