アイヌの北海道は,江戸時代は松前藩の統治になる。
その松前氏は,もと蠣崎氏。
蠣崎氏は,安東氏の系統。
安東氏は,蝦夷であり,東北アイヌ。
よって,松前藩の北海道統治は,蝦夷による蝦夷の統治,アイヌによるアイヌ統治である。
特に,藩士は和人化していても,少なくとも片言のアイヌ語はたしなんでいたことになる。
実際,中央政府の蝦夷統治は,古来「蝦夷のことは蝦夷に」であった。
阿倍比羅夫の「蝦夷征討」も,軍が中央から蝦夷地に遠征したわけではない。
近場の蝦夷に「蝦夷征討」をさせたのである。
阿倍比羅夫はその蝦夷であり,「蝦夷征討」も主旨は懐柔にある。
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『日本書紀』斉明天皇四年四月 (658年)
阿陪臣闕名 率 船師一百八十艘、伐 蝦夷。
齶田・渟代二郡蝦夷 望怖 乞降。
於是、勒軍陳船 於齶田浦、
齶田蝦夷 恩荷進 而誓曰
「不爲官軍故 持弓矢、但 奴等性食肉故 持。
若 爲官軍 以儲弓矢、齶田浦神 知 矣。
將 淸白心 仕官朝 矣。」
仍 授恩荷 以小乙上、定渟代・津輕二郡々領。
遂於 有間濱、召聚 渡嶋蝦夷等、大饗而歸。
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『日本書紀』斉明天皇五年三月 (659年)
遣 阿倍臣闕名 率 船師一百八十艘、討 蝦夷國。
阿倍臣 簡集 飽田・渟代二郡蝦夷 二百卌一人・其虜卅一人・津輕郡蝦夷 一百十二人・其虜四人・膽振鉏蝦夷 廿人 於一所、而大饗賜祿。
‥‥‥
至肉入籠時、問菟蝦夷 膽鹿嶋・菟穗名 二人進曰、可以 後方羊蹄 爲 政所 焉。‥‥‥
隨 膽鹿嶋等語、遂置 郡領 而歸。
授 道奧與越國司 位 各二階、郡領與主政 各一階。
或本 云、阿倍引田臣比羅夫、與肅愼戰 而歸、獻虜卌九人。
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『日本書紀』斉明天皇六年三月 (660年)
遣 阿倍臣闕名 率 船師二百艘、伐 肅愼國。
阿倍臣、以 陸奧蝦夷 令 乘己船到大河側。
於是、渡嶋蝦夷 一千餘屯 聚海畔、向河 而營。
營中二人進而急叫曰「肅愼船師多來將殺我等之故、願欲濟河而仕官矣。」
阿倍臣、遣船 喚至 兩箇蝦夷、問 賊隱所 與 其船數、
兩箇蝦夷便 指 隱所 曰「船廿餘艘。」
卽 遣 使喚、而不肯來。
阿倍臣、乃 積 綵帛・兵・鐵等 於 海畔,而令 貪嗜。
肅愼 乃陳船師、繋羽於木舉 而爲旗、齊棹 近來 停於淺處、
從一船裏 出 二老翁、𢌞行 熟視 所積綵帛等物、
便 換着單衫 各提布一端、乘船 還去。
俄 而老翁更來、脱置 換衫 幷置 提布、乘船 而退。
阿倍臣 遣數船 使喚、不肯來、復於 弊賂辨嶋。
弊賂辨、渡嶋之別也。
食頃 乞和、遂不肯聽。
據 己柵 戰。
于時、能登臣馬身龍、爲敵 被殺。
猶戰未倦之間、賊 破殺 己妻子。
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助言:漢文の読み方
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漢文は,英文を読むように,頭からそのまま読む。
学校では, 「レ, 一,二,‥‥‥」の記号を以て,あちこちひっくり返して読むやり方を指導しているが,これは間違い。
漢語の構文は,英語と同じである。
つぎがわかっていれば,だいたい意味がとれる:
動詞と名詞の別
let にあたる使役の語「使」
by, with にあたる「以」
at にあたる「於」
then にあたる「而」
そして読むときは,語句の間をスペースで区切って,構文をみやすくする。
実際,古文とくらべれば,漢文はずっと意味をとりやすい。
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