Up 「津軽」 作成: 2025-03-06
更新: 2025-03-06


      喜田 (1933), pp.399,400
    ツガルはもと蝦夷の部族の名称で、比羅夫遠征の斉明天皇の五年 (659年) に入唐した遺唐使が、唐の天子の問に対えて、当時蝦夷に三種の別あるを述べ、その最も遠きものを都加留(つがる)と名づくといったとある。
    けだしツガルとは今のアイヌ語でチュプカグルというと同語の訛で、東方すなわち日出処の人の義であろう。
    古人、地理の実際に暗く、陸奥をもってわが国の東極にありと解したがために、中世なおそこに奥州日本の称があり、津軽の豪族安東氏は日の本将軍と呼ばれていた。
    日の本すなわちチュプカであり、チュプカの人すなわちチュプカグルである。
    南北朝ころの北海道の蝦夷の一種に「日の本」と呼ばれたもの、またまさにこれに相当する。
    すなわち北海道東部地方の住民で、近世では千島アイヌに対してチュプカグルの名が呼ばれていた。
    しからばすなわちツカルとは最奥地に住し、日本文化の影響を受くることの最も少かったはずの蝦夷の名称で、したがってその住処は時代の進運とともに次へ次へと推移したはずである。
    しかして今の津軽の地は、比羅夫遠征のころにおいて都加留と呼ばれた蝦夷の居所であり、ついにそれが一方では地名のごとくに呼ばれて、後世までもその名がそこに固定するに至ったものであろう。


  • 引用文献
    • 喜田貞吉 (1933) :「奈良時代前後における北海道の経営」
      • 歴史地理, 第62巻第4-6号, 1933.
      • 伊東信雄[編]『喜田貞吉著作集第9巻 蝦夷の研究』, 平凡社, 1980, pp.384-413.