(1) 時代背景
人物の解釈は,時代背景の捉えによってまったく違ったものになる。
ブッダの時代背景の捉えは,ブッダ解釈の肝である。
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中村元 (2011), pp.17-19.
ガンジス河の中流地帯は地味肥沃で、多量の農産物を産出しました。
上流地帯では小麦をつくるのが主でしたが、アーリヤ人が中流地帯に移ってくるとともに稲作を行うようになりました。‥‥‥
それにつれて商工業も次第に盛んとなり、多数の都市を成立させました。
最初のうちはこれらの都市を中心にして群小国家が多数併存しており、若干の国々では貴族を中心とする共和政治が行われていたのですが、他方では王国も多数存在していました。
そしてそれらは次第に国王の統治する大国に併合されてゆく趨勢にありました。
当時、諸々の大国においては王権が著しく伸張しました。
従前のインドにおいては、バラモンが最も尊い階級であると考えられていましたが、この時代になると、バラモンは従前ほどの威信をもっていませんでした。
また当時の諸都市においては商工業が非常に発達し、貨幣経済も次第に進展し、それとともに都市には莫大な富が蓄積されました。
商工業者たちは多数の組合を形成し、都市の内部での経済的実権を掌握していました。
原始仏教聖典の中には、
たとい奴隷であろうとも、財宝、米穀、金銀に富んでいるならば、王族もバラモンも庶民も、かれに対して、先に起き、後に寝て、進んでかれの用事をつとめ、かれの気に入ることを行い、かれには快いことばを語るであろう。
(『マッジマ・ニカーヤ』、「パーリ原典協会本」〔以下同〕第二巻八五ページ)
と記されています。
わが国では昔からお金持ちのことを「長者」といいますが、それは漢訳仏典においては組合の統領のことをいうのです。‥‥‥
こういう空気のうちに生活する人々の眼には、旧来のヴェーダの宗教は単なる迷信としか映りませんでした。
時代の動きに応じて、新しい思想家たちが輩出して、異端説を唱えました。
この時代に出現した新しい自由思想家たちを「つとめる人」(シラマナ、沙門) とよびますが、旧来のヴェーダを奉ずるバラモンに対立するものです。
かれらにとって好都合なことには、当時は思想の自由および発表の自由が極度に認められていました。
当時の諸国王や諸都市はしばしば哲人たちの討論会を聞いて、かれらに自由に討論させましたが、いかなる意見を述べても、処罰されることはありませんでした。
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(2) 出家 pravrajya
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Sutta-nipāta, 3.1 (中村元訳)
405 |
眼ある人 (釈尊) はいかにして出家したのであるか、かれはどのように考えたのちに、出家を喜んだのであるか、かれの出家をわれは述べよう。
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406 |
「この在家の生活は狭苦しく、煩わしくて、塵のつもる場所である。ところが出家は、ひろびろとした野外であり、(煩いがない」と見て、出家されたのである。
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ブッダが論題にする「苦」は,被虐者・困窮者の苦ではない。
在家の生活の狭苦しさ、煩わしさである。
ブッダの出家は,求理に専念したくて出家するのである。
(3) ブッダの方法論:科学 (メタ論)
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中村元 (2011), p.21.
「 |
我 (霊魂) および世界は常住であるか、あるいは無常であるか?
我および世界は有限であるか、あるいは無限であるか?
身体と霊魂とは一つであるか、あるいは別のものであるか?
修行を完成した完全な人格者は死後に生存するか、あるいは生存しないのか?」
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などの質問を発せられたときに、かれは答えなかったといわれています。
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ブッダの探求は,現前 presence の探求である。
現前は,《どうしてこのようにあるか》を理解するものである。
空論を言ってくる者は,現前の一つである。
《どうしてこのようにあるか》を理解するものである。
それに対してなにかを答えるというものではない。
ブッダの方法論は,科学である。
ひとの思考は,是非論・有無論である。
科学は「是非も無し」「有無も無し」論である。
科学は,是非論・有無論に対しては,これのメタ論──「是非論・有無論」の物理学/生態学/経済学──をつくることになる。
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中村元 (2011), p.21.
人間が生きるべき道、人のよりどころとすべき決まりを、かれはダルマ (dharma) とよびました。
それは「人間を人間としてたもつもの」という意味であり、漢訳仏典ではこれを、「法」と訳しています。
これは時代、場所、民族の差を超えて、いかなる時、いかなる所でも守らねばならぬ永遠の理法であるといい、そしてこの理法を体得した者をブッダ (Buddha) といいます。
それはめざめた者、覚った者という意味であり、中国・日本では「仏」という字をあてて書くことになりました。
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このように書かれるとダルマは実践の法のようだが,そうではない。
ダルマは,自然法則である。
例を挙げるとすれば「重力」を挙げる,といったものでなのである。
「守らねばならない」ではなく,「斯くあるしかない」である。
ブッダは,究理の者である。
古代ギリシャの哲人を考えるように古代インドのブッダを考えればよい。
(4) ブッダの人間論:幻想論
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中村元 (2011), p.21.
かれの目的は実践的認識を明らかにすることであったために、まず人生の苦しみを凝視することから考察を始めました。
「苦しみ」とは、自分の思うがままにならぬことであると解します。
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ブッダを論考する者は,きまって「人生の苦しみ」のワードを使う。
これは,論者に「ブッダは救済者」の思い込みがあるためである。
ブッダは,究理の者であり,救済者ではない。
そもそも,解脱で無くなるような苦しみは,「人生の苦しみ」の一部に過ぎない。
そしてブッダが脱却しようとしたのは,個人的にがまんのならない「人生の煩わしさ」である。
「人生の苦しみ」ではない。
その煩わしさは,人の世の法──行儀,価値観──を強いられることである。
よって,出家の身になって人の世の法を幻想と見限れば,<がまんのならない煩わしさ>の問題はいちおう自己処理できたことになる。
ブッダは,これを行う者である。
作業内容は,自然の法の側から人の世の法を照らして,それの幻想性を明らかにすることである。
探求分野は,自然の法に対しては物理学,人の世の法に対しては生態学/経済学,というようになる。,
(5)「輪廻」論とは無縁
「輪廻」の発想は,デカルト的な「わたしとは何か」の問いが元になる。
「わたしとは何か」は,<わたしの生滅の特個性を説明できないことの居心地の悪さ>がつくる問いである。
この居心地の悪さは,特個性を消せる理屈が立ったら無くなる。
そして特個性を消すには,単純にはつぎのようにすればよい:
《このわたしの前と後ろの両方に,同じわたしを措く》
こうして輪廻論が出てくる。
ブッダの探求では,「輪廻」は論題にならない。
実際「輪廻」の問いは,ブッダが相手にしない形而上的問いの一つになる。
それなのにここで「輪廻」に触れたのは,つぎのような論に出遭ったからである:
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宮元啓一 (2015), p.80.
ゴータマ・ブッダが発見した真理の核心は、苦である輪廻的な生存を引き起こす究極の原因は根本的な生存欲であり、それを滅ぼすものは智慧 (如実知見)であり、そのためには、輪廻的な生存にまつわるあらゆる経験的な事実が構成している因果関係の鎖を徹底的に観察、考察しなければならない、というものである。
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この論は,「苦である輪廻的な生存」から起こしているわけだが,「苦である輪廻的な生存」は妄想である。
ひとの苦は,生存が輪廻的であるための苦なんかではない。
(6)「中道」
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中村元 (2011), pp.23,24.
かれの説いた現実の実践の原理は、一言で言えば、道徳的に悪い行為を行わないで、生活を浄めることです。‥‥‥
その原理が現実に展開した場合には〈中道〉になるといいました。
当時の新興の自由思想家の間では、道徳に反することをしても現世の快楽にふけることを勧める人々があり、また他方では身を苛む苦行に専心する人々がいましたが、ゴータマ・ブッダはそのいずれをも極端な誤った実践であるとして排斥したのです。
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「中道」のこの解釈は,ブッダから遠く離れている。
ブッダは,求理の者である。
理は現前 presence の理であり,現前は理の現象である。
よって,理は現前を「斯くある」に表現する。
「斯くある」に対し是非を立てる者は,自家撞着する。
現前は「是非も無し」である。
「中道」は,この「是非も無し」の立場を謂う。
同様に,「斯くある」に対し有無を立てる者は,自家撞着する。
現前は「有無も無し」である:
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中村元 (2011), p.64.
カッチャーヤナよ。
この世間の人々の多くは、二つの立場に依拠している。
それはすなわち有と無とである。
もしも人が正しい智慧をもって、世界 (世の人々) のあらわれ出ることを如実に観ずるならば、世間において無はありえない。
また人が正しい智慧をもって世間の消滅を如実に観ずるならば、世間において有はありえない。
カッチャーヤナよ。
あらゆるものが有るというならば、これは一つの極端の説である。
あらゆるものが無いというならば、これも第二の極端の説である。
人格を完成した人は、この両極端の説に近づかないで、中道によって法を説くのである。
(『サンユッタ・ニカーヤ』第二巻一七ページ)
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ブッダの理論は,存在論 (物理学) と人間論 (生態学/経済学) の二本立てである。
「中道」はそれぞれに対して立ち,前者が「有無も無し」,後者が「是非も無し」である。
(7)「八正道」
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中村元 (2011), p.24.
その<中道>の立場はまた正しい道であると考えられました。
そこで、それが展開して、正しい見解・正しい思い・正しいことば・正しい行為・正しい生活・正しい努力・正しい念想・正しい精神統一よりなる八正道、八つの正しい道が、われわれを理想の境地に導いてゆくものであると説きました。
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「八正道」は,ブッダに引き寄せるときは,求理の方法 (科学方法論) を言ったものと解釈することになる。
(8)「慈悲」
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中村元 (2011), pp.24,25.
このような正しい行為的実践は他人との連関において成立するものですから、他人に対しては思いやりをいだき、慈悲の精神をもって実践すべきことを説きました。
それは独り子に対する母の愛にたとえられています。
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あたかも、母が己が独り子をば、身命を賭しても守護するように、一切の生きとし生けるものに対しても無量の慈しみのこころを起こすべし。(『スッタニパータ』一四九)
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と説きました。
人々は思いやりの心をもって助け合わねばならぬということが強調されました。
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ブッダは,このように説くことにはならない。
「慈悲」を言う形は,つぎの2つである:
- メタ論──つぎの言い方になる:
「人の法は,つぎのように「慈悲」を説くことになる:
(上の全文)
」
- 一切の生きとし生けるものに対するリスペクト
強調するが,ブッダは求理の者であり,救済者──被虐者・困窮者の救済ボランティア──ではない。
実際,ブッダの理論は被虐者・困窮者には何の救いにもならない。
被虐者・困窮者にとって宗教が救いになるのは,その宗教が「あの世」を約束してくれるからである。
ブッダの理論には「あの世」は無い。
ブッダの理論が救いとなるのは,在家の生活の狭苦しさ・煩わしさを苦にしていて者である。
そしてブッダがこの者を救うおうとしてすることは,出家を勧めることである。
──ブッダの教えは,出家の勧めである!
仏教は,「あの世」を空約束するビジネスである。
「仏教」と称しブッダ (仏) の教えのように装っているが,偽りであり,ひとをそして自分自身を騙しているのである。
(9) 理論の自己評価
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Saṃyutta-nikāya, Sagātha vagga, 6.1.1 (中村元訳)
一 |
わたくしはこのように聞いた。
あるとき尊師は、ウルヴェーラー村はネーランジャラー河の岸辺で、アジャパーラという名のニグローダ (パニヤン) の樹の根もとに留まっておられた。
初めて目覚めた人になられたばかりのときであった。
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二 |
そのとき尊師は、独り隠れて、静かに禅定に専心しておられたが、心のうちにこのような思いが起こった。
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三 |
『わたくしが知ったこの真理は深遠で、見がたく、難解であり、しずまり、絶妙であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところである。
ところがこの世の人々は執著のこだわりを楽しみ、執著のこだわりに耽り、執著のこだわりを嬉しがっている。
さて執著のこだわりを楽しみ、執著のこだわりに耽り、執著のこだわりを嬉しがっている人々には、これがあるときに ということ、すなわち縁起という道理は見がたい。
またすべての記憶や意志などの心の作用がしずまること、すべての執著を捨て去ること、妄執の消滅、貪欲を離れること、止滅、安らぎというこの道理もまた見がたい。
だからわたくしが教えを説いたとしても、もしもほかの人々がわたくしのいうことを理解してくれなければ、わたくしには疲労が残るだけだ。わたくしには憂いがあるだけだ』と。
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四 |
じつにつぎの、いまだかつて聞かれたことのない、すばらしい詩節が尊師の心に思い浮かんだ。
『苦労してわたくしが知ったことを、
今説く必要があろうか。
貪りと憎しみにとりつかれた人々が、
この真理を知ることは容易ではない。
これは世の流れに逆らい、微妙であり、
深遠で見がたく、微細であるから、
欲を貪り闇黒に覆われた人々は見ることができないのだ』と。
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五 |
尊師がこのように省察しておられるときに、何もしたくないという気持ちに心が傾いて、説法しようとは思われなかった
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(10) 研究サークル活動
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中村元 (2011), p.29.
それからかれはベナレスに赴きました。
ベナレスは古来ヒンドゥー教の聖地であり、ガンジス河の岸には多数の寺院があります。
その郊外にある「鹿の園」(鹿野苑) において旧友の修行者五人を教化して、ここで初めて仏教教団が成立しました。
毎年雨期には旅行ができませんから、一カ所にとどまって定住生活 (雨安居) を行いましたが、それ以外の時期にはつねに各地を遊歴して教化を行いました。
かれの教化活動の中心地は、当時、最大の強国マガダの首都王舎城と、生まれ故郷に近いサーヴァッティー市とでした。
王舎城では、郊外にあった竹林園を、マガダ王ビンピサーラが寄進しました。
またサーヴァッティー市では一富豪が土地を買って教団に寄進してくれました。そこに建てられたのが、祇園精舎です。
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理論は,最初から完成したものが出来上がるのではない。
理論をつくる者は,自分の理論が俎上に乗る場を必要とする。
こうして同類が集まり,研究サークルができる。
上に引用した文では「教化」と言っているが,議論が行われたのである。
こうして理論はだんだんと磨きが掛かっていく。
ブッダの理論は,ブッダ独りで出来上がったのではない。
仏教はブッダが超人でないと具合が悪いだろうが,ブッダはブッダ独りで出来上がったのではない。
(11) 「自由」が歓迎される
ブッダの理論は, 「自由」が魅力である。
在家の生活の狭苦しさ、煩わしさを説くものだからである。
出家がかなわない者も,ブッダたちの言行から元気をもらえる。
特に,バラモンが重しになっている商人やクシャトリアは,ブッダの理論を歓迎することになる。
(12)「尊師」になる
ブッダの研究サークルは評判になり,メンバーが増えていく。
研究サークルは,大人数になると,組織のダイナミクスで動くようになる。
個人は,組織のダイナミクスに疎外されるようになる。
これは,成長する研究サークルの宿命である。
新しく入って来た者にとって,初期サークルのリーダー格は,師になる。
組織の運営も,組織の顔として師を立てる方がやりやすい。
こうして研究サークルは教団になる。
執行部は組織を発展させることが務めになり,プロパガンダ活動を仕組む。
ブッダは,執行部が用意する御輿に乗る存在になる。
称号も, 「尊師」になる。
(13) 伝説になる
ブッダは,死んで伝説の存在になる。
そして,宗教ビジネスが「ブッダ」を勝手に使い放題するステージへと進む。
引用文献
- 中村元 (2011) :『原始仏教』, 筑摩書房 2011
- 中村元 (1986) : 中村元[訳]『ブッダ 悪魔との対話 (Saṃyutta-nikāya, Sagātha vagga 4〜11)』, 岩波書店 1986
- 中村元 (1991) : 中村元[訳]『ブッダのことば スッタニパータ』, 岩波書店 1991
- 宮元啓一 (2015) :『ブッダが考えたこと 仏教のはじまりを読む』
角川ソフィア文庫 (春秋社 2004年刊の加筆修正)
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