ひとが仏典に求めるものは,徳論である。
ひとは,ブッダがをそれを説いたと思っている。
しかしそれらは,後代の者の作である。
ブッダは,徳の縛りから脱ける者である。
したがって,徳を説くことは無い。
後代の者は,どうしてブッダを徳を説く者に仕立てることになったのか?
ブッダの出家論は,在家にとって都合の悪いものである。
自分たちは「愚かな人々」ということになるからである:
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Sutta-nipāta, 3.1
眼ある人 (釈尊) はいかにして出家したのであるか、かれはどのように考えたのちに、出家を喜んだのであるか、かれの出家をわれは述べよう。
「この在家の生活は狭苦しく、煩わしくて、塵のつもる場所である。ところが出家は、ひろびろとした野外であり、煩いがない」と見て、出家されたのである。
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Saṃyutta-nikāya, Sagātha vagga, 1.1.10
一 傍らに立って、かの神は、次の詩句を以て、尊師に呼びかけた。
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森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが、その顔色はどうしてあのように明朗なのであるか?」
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二 〔尊師いわく、──〕
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かれらは、過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来のことにあくせくするとともなく、ただ現在のことだけで暮らしている。
それだから、顔色が明朗なのである。、
ところが愚かな人々は、未来のことにあくせくし、過去のことを思い出して悲しみ、そのために、萎れているのである。
──刈られた緑の葦のように。」
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ブッダ伝説の語り継ぎは,<在家に阿る>化のドライブがかかる。
語り継ぎは,「愚かな人々」を消すプロセス,「愚かな人々」が出てくる元の出家論を薄めるプロセスになる。
そしてこれの実現が,《ブッダを<衆生に徳を説く者>に仕立てる》なのである。
では,その徳論はどこからどんなふうに出てきたのか?
以下のようにである:
その1
「愚かな人々」論は,どこがどう愚かなのかを論じることになる。
これは,「‥‥‥なので愚か」の形の命題をつくることである。
しかしこの命題は,ひっくり返すと,「‥‥‥でなければ善い」になる。
ブッダの出家論は,語り継がれるうちに,こうなる。
在家者の<徳>論にひっくりかえるのである。
「愚かな人々」が消えて,善い者と悪い者の二分論になる。
出家論を消せて,在家が救われる。
その2
サンガ saṃgha での修行論も,在家者の徳論に転じられる。
サンガには, 入門者として加わる者がいる。
組織はこの者たちを指導せねばならない。
この指導は,修行マニュアルを自ずと現すことになる。
そしてこの指導マニュアルが,在家者の徳論に転じられる。
その3
また,サンガは,組織のダイナミクスにより,「狭苦しく、煩わしくて、塵のつもる場所」になる。
即ち,員は規則に縛られ,員の間には競争・確執が生じる。
サンガの員は,「愚かな人々」と同じになる。
そこで,員には<徳>が説かれることになる。
そしてこの説法が,在家者の徳論に転じられる。
引用文献
- 中村元 (1991) : 中村元[訳]『ブッダのことば スッタニパータ (Sutta-nipāta)』, 岩波書店 1991
- 中村元 (1986) : 中村元[訳]『ブッダ 神々との対話 (Saṃyutta-nikāya, Sagātha vagga 1〜3)』, 岩波書店 1986
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