Up 語り継がれると, <徳を説いた者>にされる 作成: 2021-10-19
更新: 2021-10-19


    ひとが仏典に求めるものは,徳論である。
    ひとは,ブッダがをそれを説いたと思っている。
    しかしそれらは,後代の者の作である。

    ブッダは,徳の縛りから脱ける者である。
    したがって,徳を説くことは無い。

    後代の者は,どうしてブッダを徳を説く者に仕立てることになったのか?


    ブッダの出家論は,在家にとって都合の悪いものである。
    自分たちは「愚かな人々」ということになるからである:
      Sutta-nipāta, 3.1
     眼ある人 (釈尊) はいかにして出家したのであるか、かれはどのように考えたのちに、出家を喜んだのであるか、かれの出家をわれは述べよう。
    この在家の生活は狭苦しく、煩わしくて、塵のつもる場所である。ところが出家は、ひろびろとした野外であり、煩いがない」と見て、出家されたのである。
      Saṃyutta-nikāya, Sagātha vagga, 1.1.10
    一 傍らに立って、かの神は、次の詩句を以て、尊師に呼びかけた。
      「 森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが、その顔色はどうしてあのように明朗なのであるか?」
    二 〔尊師いわく、──〕
      「 かれらは、過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来のことにあくせくするとともなく、ただ現在のことだけで暮らしている。
    それだから、顔色が明朗なのである。、
    ところが愚かな人々は、未来のことにあくせくし、過去のことを思い出して悲しみ、そのために、(しお)れているのである。
    ──刈られた緑の葦のように。」

    ブッダ伝説の語り継ぎは,<在家に(おもね)る>化のドライブがかかる。
    語り継ぎは,「愚かな人々」を消すプロセス,「愚かな人々」が出てくる元の出家論を薄めるプロセスになる。
    そしてこれの実現が,《ブッダを<衆生に徳を説く者>に仕立てる》なのである。

    では,その徳論はどこからどんなふうに出てきたのか?
    以下のようにである:


    その1
    「愚かな人々」論は,どこがどう愚かなのかを論じることになる。
    これは,「‥‥‥なので愚か」の形の命題をつくることである。
    しかしこの命題は,ひっくり返すと,「‥‥‥でなければ善い」になる。

    ブッダの出家論は,語り継がれるうちに,こうなる。
    在家者の<徳>論にひっくりかえるのである。
    「愚かな人々」が消えて,善い者と悪い者の二分論になる。
    出家論を消せて,在家が救われる。


    その2
    サンガ saṃgha での修行論も,在家者の徳論に転じられる。

    サンガには, 入門者として加わる者がいる。
    組織はこの者たちを指導せねばならない。
    この指導は,修行マニュアルを自ずと現すことになる。
    そしてこの指導マニュアルが,在家者の徳論に転じられる。


    その3
    また,サンガは,組織のダイナミクスにより,「狭苦しく、煩わしくて、塵のつもる場所」になる。
    即ち,員は規則に縛られ,員の間には競争・確執が生じる。
    サンガの員は,「愚かな人々」と同じになる。

    そこで,員には<徳>が説かれることになる。
    そしてこの説法が,在家者の徳論に転じられる。



    引用文献
    • 中村元 (1991) : 中村元[訳]『ブッダのことば スッタニパータ (Sutta-nipāta)』, 岩波書店 1991
    • 中村元 (1986) : 中村元[訳]『ブッダ 神々との対話 (Saṃyutta-nikāya, Sagātha vagga 1〜3)』, 岩波書店 1986