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中村元[著]『密教経典・他』, pp.154-156.
密教は、その呪術的要素のゆえに、文化程度の低い諸民族のうちに容易に浸透していきました。
八世紀以後、密教の学者たちが数多くチベットに入って密教を伝えました。
チベットの仏教は、ボン (Bon) 教など民間信仰を摂取して、やがて独自の特徴ある仏教を形成したので、西洋人はこれを「ラマ教」(Lamaism) とよんでいます。すなわち、密教がチベット人の風俗習慣に融合した結果、「ラマ教」(チベット仏教) が成立するにいたったわけです。ただしチベット人は、自分たちの宗教が「ラマ教」とよばれることを好みません。
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また密教は東南アジアの諸国にも伝わりました。
さらに中国・日本には左道的でない密教が伝わりました。
その理由としては以下のことが考えられます。
(一) 中国人は、インドの原典の露骨・卑猿な表現を必ずしもそのままに翻訳せず、婉曲な表現を用いた。
(二) とくに日本の真言宗は、弘法大師によって左道的要素を拭い去ったかたちで伝えられ、弘法大師は独自の哲学的体系を確立した。
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- 参考Webサイト
- 参考文献
- 中村元[著]『密教経典・他』(現代語訳大乗仏典 6), 東京書籍, 2004.
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