Up はじめに 作成: 2016-03-23
更新: 2016-03-23


    2011-03-11 から5年経過した。
    2011-03-11 に関しては,これから十日経った 03-21 に,『福島第一原発事故』がタイトルのウェブページを作成開始している。
    テレビの報道番組があまりにデタラメなので,《自分から情報を求め・整理し,状況判断していくしかない》となったのである。

    いま,当時作成したリンクを試すと,海外サイトは変わらずに存在している。
    国内の方は,リンク先が存在しないのが多い。
    特に,文科省のものは,全滅である。
    当時の様子を確認したいと思っても,それはひどく難しくなっている。
    情報的には,着実に風化が進んでいる/進められている。

    このようなことも含め,《大災害後の人の生態はこんなふう》が見て取れるようになってきた。
    そこで,生態学の趣で,大災害後の人の生態を論考してみることにする。


    「生態学の趣で」とは,どういうことか。
    すべてのことを,「所詮こんなものだ」「是非も無し」で見ていくということである。
    虫の営みに対し是非を唱える者は,いない。
    人の営みでも,同じことである。

    生態学は,現前の全肯定である。
    ひとが批判的言説で応じるような事柄も,生態学にとっては理の実現である。
    例えば,生態学のスタンスからいちばんよく見えてくるものは《人は欺瞞をして生きる》であるが,生態学にとってこれは道理というものである。