Up | ギャンブラー災害 | 作成: 2016-04-08 更新: 2016-04-08 |
外部者は,この模様にイライラする。 このイライラに,危険が潜む。 イライラを解消しようとしてすることは,「ギャンブルに走る」である。 いかがわしい物言いにとびつき,それを持ち上げるということである。 結果は,災害である。 この災害は,「人災」である。 起こり得る廃炉作業災害として先ず警戒すべきは,この「人災」である。 廃炉作業は,だれにも不明な作業である。 「この方法がよい」は,廃炉作業に関しては言えないことばである。 作用に対しては,反作用がある。 この反作用が読めないのである。 一方,「この方法がよい」を言う者は,つねにいる。 その者は,不明を不明と思っていない者である。 作用に反作用があることを知らない者である。 自分の解釈がすべてをカバーしていると思っている者である。 解釈は,つねに誤る。 妥当な解釈は,試行錯誤の所産である。 「思いつき」で出てくるものではない。 廃炉技術の場合は,とりわけそうである。 「この方法がよい」を言う者は,世界をひどく単純に解釈している者である。 そこで,思考は短絡的であり,「思いつき」を言って足れりとなる。 「人災」をやるのは,このタイプの者である。 この者の本質は,ギャンブラーである。 原発事故のドラマには,いろいろな人物が登場してきた。 このドラマを観ていると,自ずと「だれが間違っていて,だれが正しかったのか」の思いがもたれてくる。 しかし,「だれが間違っていて,だれが正しかったのか」には,答えがない。 繰り返すが,作用に対しては,反作用がある。 この反作用が読めない。 行われなかったことは,反作用が「大災害」であったかも知れない。 廃炉作業のグズグズした進捗にイライラする者の前に,この状況を批判する者が現れるとどうなるか。 この批判者を賢い者に見てしまう。 この批判者のアイデアを用いて作業してくれればよいのに,と思う。 リーダーがこの批判者のアイデアを採用する者があってくれたら,と思う。 これが,いちばんの危険のもと──ギャンブルに進んでしまう契機──である。 一般に,ギャンブラーを導き入れて「人災」を招くのは,当事者ではなく,いつも大衆の方である。 廃炉作業は,ギャンブルができない。 特に,廃炉作業では,「リーダー」はつくってはならないものである。 |