Up 非国民摘発──<厭な国日本>の露呈 作成: 2020-06-10
更新: 2020-06-10


    「新型コロナはひじょうに怖いものだ」に洗脳された国民は,さらに<正義>をつくり出す。
    即ち,つぎを正義にするようになる:
      「新型コロナはひじょうに怖いものだ」の意識を持ち,
      「新型コロナはひじょうに怖いものだ」に気を配って行動する
    そして,このようでない人間を軽蔑・嫌悪するようになる。

    メディアは,この正義感に対しても,助長・煽動する役を務める。
    こうして,国は「新型コロナはひじょうに怖いものだ」全体主義になる。
    上の正義を行わない者は,「非国民」である。

    真夏日に,マスクをつけて外出している者。
    この者が不快を我慢してマスクをつけている意味は,二重である。
    一つは,「新型コロナはひじょうに怖いものだ」。
    もう一つは,「マスクをつけないと非国民にされる」。


    日本人の「非国民」の意識の持ち方は,「国民性」という見方ができる。
    日本人は,もともとこんなふうなのである。

    日本人は,<世間体を気にする>を生き方にしている。
    <世間体を気にする>は,つぎのようなバリエーションを込めたものである:
      <ひとから何か言われることに,つねにおどおどしている>
      <ひとから何か言われないよう,周りに同調する>
      <ひとから何か言われないよう,予め身辺を繕っておく>

    これは,他の国でもそうだというものではない。
    日本人のこの国民性は,特殊──異常──なのである。


    自治体が管理している池は,公園でも柵が巡らされている。
    「危険」が標識されている。
    これは,子どもが池に入って事故が起きると責任追及の声が上がるので,それを嫌がってである。
    しかし,これを作業し出すと,一つの達成感がもたれてくる。
    そして,できることを色々さがし出し,工夫を凝らすことに,やり甲斐を感じるようになっていく。
    こうして,<ひとから何か言われないよう,予め身辺を繕っておく>は,
      <自分はこんなにもきちんとやってますよを,自慢する>
    に転じる。

    万事こんな調子である。
    「新型コロナ」ではナンセンスな「工夫」のオンパレードを見させられているわけだが,いま述べたダイナミクスからそうなってしまうのである。