Up 「災難」の哲学 作成: 2021-04-10
更新: 2021-04-10


    つぎの簡単な車ロボットを考える:
      壁との距離を距離センサーで測りつつ,壁に向かって進む。
      距離を読み取るその都度,値をコンピュータに送信する。
      20cm 以下に近づいたとき,「obstacle!」を送信して停止する。

    このプログラムを作成して,実行する。
    すると,壁のはるか前で停止する。
    コンピュータの画面には,つぎが表示されている:
      Dist: 178 cm Dist: 167 cm Dist: 161 cm Dist: 155 cm Dist: 148 cm Dist: 140 cm Dist: 133 cm Dist: 124 cm Dist: 117 cm Dist: 110 cm [Errno 5] Input/output error [Errno 5] Input/output error [Errno 5] Input/output error Dist: 0 cm obstacle!

    壁の手前 110 cm の先で "[Errno 5] Input/output error" が発生し,そして距離を 0 cm を読むことになり,「obstacle!」を送信して停止した──ということである。

    このプログラムの起動を繰り返すと,症状は悪化し,ついには起動そのものにエラーが返るようになる。
    プログラムの異常終了は,初期状態へのリセットではない。
    電子的迷走がシステムの中に残っているのである。


    ネットは,この "[Errno 5] Input/output error" をめぐる議論が満載である。
    しかし,ひとつとして解決策を提示できていない。
    オタクが寄って(たか)って議論して,堂々巡りの(てい)である。
    改めて考えてみると,不思議なことである。
    オタクは,この道の専門家である。
    専門家は,馬鹿なのか?

    現在,世の中は「新型コロナ禍」の真っ最中である。
    これは,専門家の馬鹿が導いている人災である。
    専門家は,確かに馬鹿と両立するのである。

    この場合の「馬鹿」の内容は,構造的・論理的に考えられない,である。
    災難を,ツールや薬で解決しようとする。
    「新型コロナ禍」を導いて引っ込みがつかない者たちは,いまは「ワクチン頼み」をひとにせっせと洗脳しているところである。


    "[Errno 5] Input/output error" の意味は,単純である。
    あまり仕事が出来ない者につぎからつぎと要求を出したので,その者がパンクしてしまった──ということである。
    しかし,馬鹿なオタク/専門家は,「この者に効く薬は何か?」という考え方をするのである。

    "[Errno 5] Input/output error" の解決法は,単純である。
    そのロボットを,「能力の低いロボット」と認知してやる。
    そして,下手にいじくることをしない。
    ──「下手にいじくる」とは,壊してしまうということである。


    大事なのは,つぎの認識である:
      「改まらないことは,そのものの特色とせよ」

    つぎはこれのパラフレーズである:
      「改善できない点は,特色とせよ」
      「災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候
       死ぬる時節には死ぬがよく候」


    新型コロナなんぞは,つぎの統計に見るように,「ただの風邪」である:
      ○ 2019年人口「123,731,176」の年齢群別内訳
      ○ 2019年死亡数 1,381,098 (138万人)
      ○ 2021-02-24 発表「新型コロナ死亡数」の年齢群別内訳


    年寄りは,ただの風邪で死ぬ。
    年寄りがただの風邪で死ぬのは,生命/自然の理である。
    年寄りがただの風邪で死ぬのは,年寄りの特色である。

    しかしオタク/専門家馬鹿は,「年寄りとは,薬・ワクチンで改めていかなばならないもの」という考え方をする。
    こうして,年寄りは,<医療漬け生物>という品種──人工品種──になる。
    生物の「アポトーシス」プログラムに逆うこの人工品種は,ぐちゃぐちゃの(てい)にされて死ぬばかりである。