Up 役者やのー 作成: 2016-04-21
更新: 2016-04-21


    人は,自分で自分を騙すことができる。
    自分で自分を騙すことをやってしまうので,自分でも自分がわからない。

    人は,外に対しては,役割行動をする。
    役割行動は,機能の効率から,無意識の機序になっている。
    よって,役割行動なのかそうでないのか,自分でもわからない。


    一つの役割行動が求められている場面で,その役割行動を察知し,これに用意することを,「空気を読む」と表現する。
    この逆が,「空気を読めない」である。

    個は多様である。
    人には,役割行動の下手な者がいる。
    役割行動に抵抗を感じる者もいる。
    さらに,役割行動に抗うことを矜恃と重ねる者もいる。
    これらは,空気を読めない者たちである。

    空気を読めない者は,組織だったら,外に出すと危ない・出してはならない者になる。
    メディアだと,予定が立たず,予定しても覆されることが想定され,そして世の反発を心配することになるので,登用しない者になる。
    報道の実況中継だと,マイクを向けてはならない者になる。
    実際,実況中継とはいえ,マイクを向ける相手は事前に,慎重に定めているわけである。


    災害では,涙が絵になる。
    ひとは,状況に適応する。
    涙が絵になる状況では,涙の絵の実現を役割行動にしていく。

    涙の絵の実現という役割行動は,今日では一般的なものである。
    これは,T Vの貢献である。

    芸能・スポーツ界は,大災害が起こったときに自分の<いつも通り>を行うための方法を得た。
    「元気を届ける」「勇気を与える」である。
    これは,心理の防衛機制であるところの「合理化」である。
    そして,心理の防衛機制は,さらに涙の絵に依存していく。

    T Vカメラは,涙の絵をつくれと要求する。
    この求めに応じて,涙の絵をつくる。
    無意識の役割行動として,これを身につける。


    しかし,ここでも「個の多様性」がある。
    個は多様である。
    涙の絵に対しては,これに入っていく者と退く者がいる。
    役者やのー」で,観賞する者もいる。

    芸能・スポーツ界にも,「元気を届ける」「勇気を与える」や涙の絵に対し,「やってられるか」となっている者は当然いる。
    組織は,彼らを危ない者として扱っていかねばならない。


    また,涙の絵は,失敗もある。
    T V番組で,「ここぞ涙の絵」というわけで,カメラが目を中心に顔をアップする。
    しかし,涙の絵とはならず,白ける。
    実際,涙の絵の失敗は,嘲笑モノになる。
    「号泣会見」は涙の演技のしくじりであるが,《涙の絵の大しくじりは,とてつもない嘲笑の対象になる》を教えるものとなった。