Up 「コロナ罰則」──「癩予防法」の轍 作成: 2021-01-24
更新: 2021-01-24


      読売新聞, 2021-01-24
    コロナ対策強化へ特措法改正案、閣議決定
    休業応じない・入院拒否に罰則導入
     政府は22日午前、新型コロナウイルス対策の強化に向け、新型インフルエンザ対策特別措置法と感染症法の改正案を閣議決定した。休業や営業時間短縮に応じない事業者や入院拒否への罰則導入が柱だ。政府は2月初めに成立させ、同月中に施行することを目指している。
     菅首相は22日の参院本会議で、「個人の自由と権利に配慮し、必要最小限の私権制限としたうえで、支援や罰則の規定を設けた」と述べた。野党は、入院拒否の罰則として懲役刑を設ける感染症法改正案の規定などを問題視している。政府・与党は早期成立を図るため、修正を含めて柔軟に対応する構えだ。
     特措法改正案では、緊急事態宣言の対象区域で、都道府県知事が飲食店などの事業者に休業や時短営業を命令できるようにする。応じない場合は50万円以下の過料を科す。知事が命令を出す際には事業者への立ち入り検査などをできるようにし、拒否した場合には20万円以下の過料とする。
     現行の特措法は、事業者の休業や時短営業は、知事の要請に基づく自主的な協力を前提としており、強制力はない。罰則の導入で新型コロナ対策の実効性を高める狙いがある。刑事罰ではなく、前科がつかない行政罰の過料とする。
     さらに、宣言発令の前段階に、知事が予防的措置を行う「まん延防止等重点措置」を新設。この措置でも知事は、事業者に時短営業などを命令でき、応じない場合は30万円以下の過料を科す。
     一方、要請や命令に応じた事業者には、国や自治体が支援措置を「効果的に講ずる」という義務規定を明記した。国が自治体に必要な財政措置を講じることも盛り込んだ。
     感染症法改正案では、感染者への入院勧告に伴う罰則を導入する。知事の入院勧告を感染者が拒否したり、入院先から抜け出したりした際の刑事罰として「1年以下の懲役または100万円以下の罰金」と規定した。
     保健所が感染者の行動歴から感染経路を割り出す「積極的疫学調査」に対する虚偽回答や調査拒否には、「50万円以下の罰金」を科す。病床確保のために厚生労働相や知事が医師らに勧告できる規定も明記。正当な理由がなく従わなければ病院名の公表も可能とする。


    かつて国は,癩者を強制隔離した。
    大衆がこれを求めたからである。

    時が経って,大衆はそれを「非道」と(なじ)るものに変わった。
    非道と唱えることが正義であるように見えてきたからである。,
    大衆はいつも,正義の味方に己がなれる<非道を詰る>を求めるものなのである。

    「コロナ罰則」は,この轍を踏むものである。
    温故知新として,「癩者強制隔離」がどのようなものであったかを確認すべし:
      1929年「無癩県運動」
        癩者を見つけ出し強制隔離することが,各県がこれを競い合うという格好で,全国運動になる
      1931年「癩予防法」
        政権が癩病の絶滅を政策にして,強制隔離を法制化する


    強制隔離を正義とした大衆と強制隔離を非道とするいまの大衆は,何が違うのか。
    前者は癩病を怖い病気と信じ,後者は怖い病気ではないと信じる──この違いである。

    この変化は,大衆が賢くなったというのではない。
    大衆は相変わらず,<癩病がどんなものかを知らず,知ろうともしない者>でいる。
    ひとは,自分が生きることに忙しいので,ごく小さな領域のことに詳しくなることの他は,すべて思考停止で過ごす。
    だから,簡単に洗脳され,全体主義に服してしまうことになる。

    そして,政治家。
    政治家は,大衆の上にある者ではなく,大衆である。
    政治家は,「選挙」システムで大衆からピックアップされた者である。
    洗脳され全体主義に服してしまう大衆の特性は,そのまま政治家の特性である。


    大衆が全体主義になるメカニズムは,単純である。

    民主主義は,「意見の対立は,多数決で抑える」という方法論のことである。
    ところがひとは,この方法論を「多数が正義」イデオロギーに変えてしまう。
    どうしてこうなるかというと,ひとは易きに流れるからである。

    実際,意見の対立は,意見の内容を難しい「科学」へ高めるものになる。
    ひとは「科学」に堪えられないので,易い「正義」(宗教/イデオロギー) を求める。
    そして,この需要に応えることを商売にする者がいる。
    マスコミである。

    このように,民主主義は,簡単に「正義」の全体主義にひっくり返る。
    この全体主義は,必ず非科学が科学を退ける形になる。
    科学の側につけるのは,少数派ということになるからである。


    ひとは,《非科学で科学を退ける》を繰り返す。
    <馬鹿な戦争──終わらない戦争>を繰り返す。
    そしてこれは,どうしようもない。
    ひとは,これ以上のものにはなれない。

    この達観は,科学である。
    ──カテゴリーを求めれば,さしあたり生態学ということになる。

    この達観を<諦め>とか虚無主義と定め,どうにかすること (「改革」) を正義にする者は,「正義」イデオロギーの罠に嵌まるだけの者である。
    例えば「教育者」。
    実際,彼らはいま「コロナ罰則」を正義にする側にいるわけである。


    註: 新型コロナは,「ただの風邪」である。
    冬期に入って盛んになっているのは,ただの風邪が冬場に盛んになることのうちである。
    「新型コロナ死亡数」は,《新型コロナ感染があれば新型コロナを死因にする》の数値である。
    毎年6月に前年度の「人口動態統計月報年計(概数)の概況」が厚労省から報告されるが,いまからもうはっきり予見されることは,他の死因による死亡数の減少である──こうして帳尻が合う。
    死亡は,多くの条件が複合した現象である。
    一つの原因で死ぬのではない。
    高齢や持病で死んだ者が新型コロナに感染していた──これを「新型コロナで死んだ」と言ったら,嘘である。
    世論を誘導したい者が使う嘘である。