Up | 「マスクを着け続ける」の意味 | 作成: 2023-02-28 更新: 2023-02-28 |
この統計数値に対し,ひとは表面的な解釈しかできない。 本質的な解釈は,自分たちを否定するものになるからである。 ひとは「コロナ対策」を正義の行動にして,これを競い合った。 正義を行動することは,不正義を憎み,退治するということである。 こうして,正義行動は必ず「非国民」を立てる。 いま,新型コロナは「ただの風邪」になった。 新型コロナ騒ぎは,ただの馬鹿騒ぎということになった。 非国民が正しかった,となった。 しかし,正義を行動することを自己肯定・自己確証にしてきた者たちは,この状況に際して引っ込みがつかない。 この状況を認めることは,自己否定になる。 彼らは,新型コロナがずっと「パンデミック」でないと,格好がつかないのである。 困るのである。 しっかり認識すべし。 大衆は,ずっと「マスク警察」だったのである。 実際,「マスクをする」ということは,マスクをしない者たちを斥けるということである。 「マスク警察」は,転向することができない。 彼らは,自分を否定しないために,「マスクをつけ続ける」のパフォーマンスを自分に課さねばならない。 彼らは「マスクをつけ続ける」の意味を思考にのぼらせないようにする。 思考にのぼらせたら,「マスクをつけ続ける」が揺らぐからである。 彼らは,この心理構造になっている。 心理には,「抑圧」というメカニズムがある。 彼らは,「抑圧」のメカニズムで意識・思考を封じる。 そして頑なに,「マスクをつけ続ける」に閉じ籠もるのである。 「新型コロナ」は,「大衆」とは何かをずいぶんとわからせてくれた。 大衆とは,「正義の者でなければならぬ」と思う者であり,権威が示す正義に煽動・洗脳される者であり,そしてこの全てを通じて疑念を無意識で抑圧する者である。 「馬鹿な戦争」は,なぜ繰り返されるのか? 全体主義は,なぜ繰り返されるのか? 大衆とは,進んでこれをするものだからである。 そして大衆は永遠だからである。 ──人間は大衆以外になれない。 |