Up 感染者ヘイト 作成: 2020-06-10
更新: 2020-06-10


    ひとは,「新型コロナはひじょうに怖いものだ」に洗脳される。
    このとき感染者が,ひとが怖れるものになる。
    感染者は,ウィルスが巣くうところだからである。

    ひとは,怖く思っているものが近くに寄ってくると,パニックになる。
    そして,「いまより近くに寄ると死ぬぞ」を意味するアクションをする。
    たとえば,ゴキブリ嫌いの者は,ゴキブリがもし自分に寄ってきたら,ヒステリックにスリッパで床をめくらめっぽう叩くようなアクションになるだろう。
    もしゾンビに囲まれたら,ヒステリックにバットを振り回すようなアクションになるだろう。

    昔は,ひとは癩者に対してこのようなアクションをとることになった。
    その当時の人は,「癩はひじょうに怖いものだ」に洗脳されていたからである。
    癩者をひどく怖れている者は,自分の近くに癩者が現れたら,必死に癩者を撃退しようとする。
    例えば,石を投げる。

    これは,「差別」とか「いじめ」とかではない。
    自分を必死に守ろうとする防衛反応である。
    実際,スリッパでゴキブリを必死に撃退しようとしている者は,ゴキブリを差別する者でもいじめる者でもない。
    バットでゾンビを必死に撃退しようとしている者は,ゾンビを差別する者でもいじめる者でもない。


    「新型コロナはひじょうに怖いものだ」に洗脳されている者は,感染者に対してこのように振る舞う者になる。
    これが,感染者ヘイトである。

    感染者ヘイトを「感染者差別」と呼び,ヘイトをたしなめるふうのことを言う者は,ヘイトを馬鹿者のすることと定めている。
    「自分も感染するかも知れないことを思えば,差別なんかできないはずだ」というのが,この者の理屈である。
    馬鹿者は,この者の方である。
    ゾンビが自分に迫ってきたら,ひとはバットを振り回す。
    ゾンビに感染しないためにこれをするのであって,「自分もゾンビになるかも知れないのだから,ゾンビを受け入れよう」とはならないのである。

    つまり,「新型コロナはひじょうに怖いものだ」を言うことと「感染者を差別するな」を言うことは,矛盾しているのである。
    「差別反対」は,この矛盾がわからない馬鹿者のことばである。


    どこで間違っているのか。
    「新型コロナを遠ざけよ」が,間違いなのである。
    ソルーションは,「新型コロナと共生せよ」である。
    つぎのように言えばよいのである:
      「いつものインフルエンザと同様にしていればよい」

    「新型コロナはひじょうに怖いものだ」に洗脳されれている者は,こう言われたら
      「インフルエンザはたいした病気ではないが,
       新型コロナはひどく怖い病気だ」
    と返すことになる。
    このときは,この者にインフルエンザと新型コロナの比較をきちんと示してやるのである。
    インフルエンザの罹病者 (病院にかかった者) 数・死亡者数を示し,そして重症化の内容がインフルエンザと新型コロナで同じであることを示してやる。

    なぜこれがされないか。
    いま社会をリードしているのが,これがされると不都合な者たちだからである。
    その不都合を大きく括って言えば,「引っ込みがつかない」と「利権」である。
    前者にあたるのが,「専門家」,政治家,メディア。
    後者にあたるのが,医療・衛生産業とこれに連なる産業。

    政府は,「戦争」を終わらせたがっている。
    しかし「いつものインフルエンザと同様にしていればよかった」「もうナンセンスはやめよう」をこの段階になって言えるのは,よほどの政治家魂・矜恃である。
    これはいまの政府には無縁のものである。