Up 「生態系」: 要旨 作成: 2020-07-09
更新: 2020-07-09


    ひとは新型コロナに対して,これを怖がることが当然・当たり前だと思っている。
    では,新型コロナは何だから怖いというのか。
    「死をもたらすウィルス」だから怖い,ということになる。

    ひとが死ぬ原因はいろいろあり,新型コロナで死ぬ確率は特別大きいわけではない。
    したがってひとは,死ぬ確率の大きさに怖れているわけではない。
    「死をもたらすウィルス」という存在に怖れていることになる。

    これは,ヒアリやツマアカスズメバチの日本侵入の話に恐怖したり,ジガ熱を蚊が感染させている話に恐怖するのと,同類である。
    あるいは,人里に出没するようになった性悪(しょうわる)熊に恐怖するのと,同類である。
    これらで人が死ぬ確率は微々たるものだが,ひとはこの種のものにとんでもなく恐怖する。

    この恐怖は,理にかなった恐怖ではない。
    科学では「異常心理」の位置づけになるところの,「恐怖症 phobia」と呼ぶ症状である。
    実際,新型コロナに対する恐怖は,虫恐怖症 (「虫嫌い」) やバイ菌恐怖症 (不潔恐怖・洗浄強迫) に属するものである。


    この恐怖症に嵌まらない方法は,恐怖の対象をよく知ること以外にはない。
    よく知るとどうなるか。
    対象をリスペクトするようになる。
    そして,「死ぬときは死ぬとき」の覚悟が生ずる。

    「よく知る」では,何を知るのか。
    「共生」を知るのである。


    ひとは「共生」を,勘違いして「平和共存」と思っている。
    「共生」は,<他の者を食い物にする>が系全体で均衡している状態である。
    これは裏返すと,各々が<他の者の食い物になってやる>を務めているということである。

    虫に食われてぼろぼろの葉は,その植物個体が<虫の食い物になってやる>を務めている様である。
    その植物個体もまた他の者を食い物にしているわけであり,そして<虫の食い物になってやる>にしても,自分を食わせつつその虫を食い物にしているのかも知れない。


    生物の中で,独り共生を壊す者がいる。
    人間である。
    人間は,<他の生き物の食い物になってやる>を拒否する。
    自分を食い物にしようとする生き物を,敵にする。
    実際のところカラダは他の生き物との共生をやっているのだが,アタマは共生を否定するのである。

    このアタマは,新型コロナウィルスを敵にする。
    「専門家」のアタマは,これである。
    「専門家」は,新型コロナウィルスを「敵」と呼ぶ。


    新型コロナウィルスは,繁殖したがっている。
    繁殖のために,人間の体を食い物にする。
    この内容を見ていくとき,自ずと<けなげ>を感じることになる。
    これが,先に述べた「リスペクト」である。,

    感染するときは,ただ感染してやればよいのである。
    共生の仕方は,カラダが知っている。
    発症しても数日で回復する。

    感染して死ぬのは,しようがない。
    人間は特別だと自惚(うぬぼ)れてはならない。
    「共生」を知るとは,「死ぬときは死ぬとき」の覚悟をもつようになるということである。


    ひとが自然と近かったときは,「共生」を知っており,「死ぬときは死ぬとき」の覚悟をもっていた。
    いまは,「共生」を知らず,「死ぬときは死ぬとき」の覚悟を知らない。
    ひとをこのように無知にしたのは,医療・衛生産業利権である。

    「新型コロナ」を教科書に載せるの声がある。
    どんな書きぶりになるかは,予想がつく。
    学校はいつも,洗脳する者のいちばんのターゲットである。