Up 「新型コロナ」の終わり方 : 要旨 作成: 2020-07-28
更新: 2020-07-28


    政府は,「ウィズコロナ」を制定してしまうことになった。
    国は,「ウィズコロナ」全体主義体制になった。
    この全体主義は,どのようにして終わるか。

    「ウィズコロナ」全体主義の終わり方は,「終結」の形にはならない。
    終結は,「終結宣言」が要る。
    終結宣言すれば,「馬鹿な戦争をやったもんだ」になる。
    そして「戦犯」を出してしまう。

    「ウィズコロナ」全体主義の終わり方は,「うやむや」である。


    「うやむや」には,2タイプがある。
    フェイドアウトと既成事実化である。

    いまマスコミは,形勢の不利がわかってきて,なし崩し的に新型コロナの扱いを小さくしてきている。
    これが,「フェイドアウト」である。

    「ソーシャルディスタンス」も,「フェイドアウト」方式で終息させていくものである。
    距離の連続性を用いて,目立たぬよう徐々に縮めていくことができる。
    したがってこれを観察しようとするときは,「定点観測」が方法になる。
    つぎなどは,定点観測が最もしやすい観察対象である:
NHK午後7時のニュースのオープニング


    これに対し,公共施設等で実施されている「マスク着用義務」は,「フェイドアウト」の形が立たない。
    こういうところは,「マスク着用義務」が既成事実化する懼れがある。
    『裸の王様』の話が,「王様は裸だ」と声を上げる子どもが登場しない形──「国民はこぞって王様のお召し物を褒めそやした,めでたしめでたし」──になるというわけである。

    実際,この方式は日本人の性分に合っている。
    日本の公園の池は,フェンスが巡らされている。
    これは他の国には無いことである。
    日本人は,僅かの確率の事件に備えていることを美徳とするのである。
    ──己の<意気地無し>を<美徳>にひっくり返すのが,日本人の国民性である。

    例えば公共図書館などは,「ウイルス感染症全般に備える」として,つぎの措置が既成事実になる懼れがある:
    1. 入口での消毒
    2. 感染者追跡を可能にする個人情報の記入
    3. 館内マスク着用