Up 学校体制正義 作成: 2021-02-24
更新: 2021-02-24


    学校とは,自分が教師と認めない者が,自分に対し教師として振る舞ってくる理不尽のことである。

    学校は,ユニフォームを定める。
    学校は,自分が認めないユニフォームを自分に強いてくる理不尽のことである。

    学校は,教師ーユニフォーム体制にひとを馴らすシステムである。
    ひとは,教師ーユニフォーム体制に洗脳される。

    学校のアウトプットは,学校体制を正義にする者である。
    この者たちは,自分のいるところを学校体制にしたがる。
    教師を求め,ユニフォームを求める。
    そして,違反者・逸脱者を暴き・罰することを悦ぶ。


    新型コロナ管制の息苦しさは,学校体制の息苦しさである。
    しかしひとは,学校体制の息苦しさを忘れていて,新型コロナ管制の息苦しさの意味を捉えることができない。
    (ひとは,嫌な思い出を懐かしい思い出に改竄する生き物である。)

    ひとは,自分は正義の者でなければならないと思う。
    正義の者と見られるよう,体裁をつくり,自分を律し,抑圧する。
    己のこの性分を意識に対象化し,どこから来たのかと問うべし。
    それは,学校で形成されたのである。


    いまの世は,息苦しい。
    どっちを向いても,学校正義 (ユニフォームになって群れたがる思想) しかない。
    形の多様に騙されてしまうが,学校正義があるばかりである。

    この手の息苦しさからひとを救ってきたものは,「反社・独自」の思想である。
    しかし学校体制は,「反社・独自」を落ちこぼれがなるもののことにした。
    いまの日本に「反社・独自」の思想を期することは,土台無理である。


     註: 以上は,わたしの世代なら馴染みの,古典的な「学校=監獄」論である。
    今後は,こんな論があり得ることも知らない世代ばかりになっていくので,ここに蒸し返しておく次第である。