Up 「マスク」 作成: 2020-04-09
更新: 2020-06-18


    (1)「咳が出るのでマスクをする
    咳は──痰・熱と同じく──病気の症状であり,病気そのものではない。
    咳は,体の中のウィルスおよびウィルスとの攻防の残骸を外に出す生体機能である。

      「インフルエンザウイルスは,咳やくしゃみによって飛沫と共に空気中に放出されます。 1回の咳で約5万個,1回のくしゃみで約10万個といわれています。 また,水分が蒸発した飛沫は24時間感染性を維持するといわれています。」
       (高麗寛紀『よくわかる微生物学の基本としくみ』, 秀和システム, 2013, p.187.)

    痰も,体の中のウィルスおよびウィルスとの攻防の残骸を外に出す生体機能。
    そして熱は,ウィルスとの攻防の環境をつくる生体機能である。
    したがって,咳・痰・熱は抑えるものではない。

      特に,「咳・痰・熱を抑える薬」「症状を軽くする薬」の考えは,間違いである。
      「咳・痰・熱を抑える薬」「症状を軽くする薬」を用いることは,自殺行為である。

    「咳が出るのでマスクをする」は,咳で外に出したウィルスを口鼻の近辺に留める,ということである。
    これは,たくさんのウィルスをつねに浴びる格好に自分をする,ということである。
    「咳が出るのでマスクをする」は,自分で自分を重症化させようとする行為である。
    自殺行為である。
    ウィルス感染で咳が発症した者は,マスクをつけてはならない。

    したがって「咳が出るのでマスクをする」の意味は,「ひとにうつさないためにマスクをする」になる。
    これは,ひとのために自分を犠牲にするということである。
    これは,マスクの効用/必要性の話ではなく,文化の話である。


    (2)「症状は無いが感染しているかも知れないので,他人にうつさないためにマスクをする
    これは,「ひとに迷惑をかけない」を美徳としさらにこれを最優先する文化である。
    そしてこの文化は,間違った文化である。
    「美徳」は表面(おもてづら)であって,これは「陰険」と表裏である。
    実際,「症状は無いが感染しているかも知れないので,他人にうつさないためにマスクをする」者は,マスクをしていない者を見ると憎しみを抱く者である。


    (3)「感染者からうつされないためにマスクをする
    これは,無駄な行為である。
    流体力学の理により,吸気は顔とマスクの縁の隙間から多く入ってくる。
    この隙間を封じようとするタイプのマスクは,これが強いられる特殊な職業に就く者が用いるものであって,一般生活者には息苦しくてつけていられるものではない。

    そもそもウィルスは,曝露が不可避である。
    大量の曝露は異常なことであるから,ふつうに曝露していればよい。
    そうすれば,自然と免疫がつく。
    「感染者からうつされないためにマスクをする」は,無駄であるばかりでなく,やってはならないことをやっているのである。


    「専門家・識者」がマスク着用を強弁するのは,理由に二つある:
    1. マスク着用を強弁する立場にいる。
      ──簡単に言って, 「利権絡み」。
    2. 「マスク」の理をまともに考えたことがなく,周りが言っているのでだいじょうぶだろうと自分もマスク着用を強弁し,そして強弁してしまったので引っ込みがつかなくなっている。
      ──簡単に言って, 「頭がわるい」。


    (4)「ひとから白い目で見られないためにマスクをする
    これが,ひとがマスクをやめないいちばんの理由である。
    ただひとは,このつまらない理由でマスクをしていることは自分でも情けないことなので,これを正しいことと合理化してくれる者を,無意識のうちで求めている。そして実際にこのような者が繰り返し登場していることで,安心する。
    こうして,ひとは自ら進んで洗脳されるのである。