Up 「抗体がある」は,「発症しない」ではない 作成: 2021-06-11
更新: 2021-06-11


    NHK は,ひとの「ワクチンを打ったのでこれで安心」の声──歓びの声──をニュースで流す。
    実際,ひとは「ワクチンを打ったのでこれで安心」と思う。
    「ワクチンを打てば感染しない」と教えられ/騙されているからである。


    ひとは,「発症」と「感染」の区別の考えが無い。
    ひとは,「陽性検査で陽性反応を現す」と「感染」の区別の考えが無い
    発症したのを,「感染した」と思う。
    検査で陽性になったのを,「感染した」と思う。
    「専門家」・マスコミが,こんなふうに伝えているからである──「本日の新たな感染者」。

    「専門家」・マスコミは,「本日の新たな感染者」の延べ数を,感染者数にする。
    ということで,彼らによれば,日本国内の感染者数は現在 80万人ほどである。

    インフルエンザは冬の 1, 2か月くらいで一気に感染拡大し,病院に訪れる「罹患者」だけで 1000万人になる。
    感染が始まってもう1年半が経つ新型コロナなら,とっくに感染を尽くしていることになる。


    ワクチンを打ったのでこれで安心」を謳う大衆のうちには,少しレベルが上がって,「ワクチンを打つと体に抗体ができるので,これで安心」まで言える者もいる。
    彼らは,抗体があるとは感染しない・発症しないことだ,と思っている者たちである。

    ひとは既に感染していて,抗体を持っている。
    マスコミが伝える「発症」は,既に抗体を持っている者たちの発症である。

    抗体をもっているので,ワクチンを打つことは無意味・無用である。
    ひとは,「抗体」が何かを知らないで,「ワクチン」を有り難がっている。


    抗体は,兵隊である。

    兵隊は,敵が少数だとこれを撃退できる。
    敵が多数だと,劣性に廻る。
    劣性になったら兵を増強し,増強した兵を以て反撃する。
    敵を撃退できたら,兵を縮小する。
    兵は,敵の大きさに応じて増強したり縮小したりする。
    兵の運営は,費用対効果比で考えるものだからである。

    抗体は,このようなものである。
    大量のウィルスが体に侵入すれば,抗体は劣性になり,体は「発症」を現す。
    「発症」は,被害プロセスと抗体増強プロセスの合わさったものである。
    高熱は,体が必要としているものであるから,解熱剤で熱を下げようとするのは命取りの行為である。
    咳・痰は,体が必要としているものであるから,咳止め・去痰剤で咳・痰を抑えようとするのは命取りの行為である。


    抗体があることは,発症しないことではない。
    では,抗体をもつと何がいいのか。

    抗体は,ウィルスの最初の侵入 (「感染」) でつくられる。
    体は,敵を分析し,この分析をもとに兵 (抗体) をデザインし産生して,敵の撃退へと進む。
    兵を生産し体勢をつくるまでは,時間がかかる。
    この間は,敵にやられっ放しになる。
    しかし2回目からは,敵に対しては「兵の加減」で対応できる。
    敵が多数でも,やられっ放しの時間を短くできる。
    これが,抗体をもつことの意味である。

    繰り返すが,抗体があることは,発症しないことではない。
    体は,人間と違って,費用対効果比をよく知るものなので,「万里の長城」「巨大防潮堤」を築くような馬鹿はしない。

「専門家」に指導させると,こんな「巨大防潮堤」になる:
(REUTERS から引用)

    押されたら退く。
    そして兵を増強して反撃する。
    敵を弱体化できたら兵を縮小する。

    発症は,忌避するものではない。
    発症は,体の智慧をしみじみと思うものである。