Up 「他人事」の科学 作成: 2022-03-22
更新: 2022-03-22


    生物は,他人事(ひとごと)に関わらない。
    生物は,他人事を教材にするだけである。

    生物にとって他人事の意味は,「明日はわが身」である。
    「明日はわが身」の意味は,「<殺される>は,明日はわが身」である。


    生物は他人事を教材にして,<自分が殺されないための方法>を開発する。
    学習で獲得したことは,遺伝では子孫に伝わらない。
    学習で獲得したことを子孫に伝える方法は,教育である。
    <自分が殺されないための方法>は,教育という方法で代々進化していく。
    鳥類の多くや哺乳動物が,これに当たる。

    ただし,現前する生物の「現前」の意味は「生き残って現前している」であり,「生き残って現前している」の意味は「生き残る方法を身につけていることによって現前している」である。
    現前する生物は,<自分が殺されないための方法>を進化させてきて,いまがある。
    この場合の<自分が殺されないための方法>は,「自然選択」の結果である。──「学習」と混同しないこと。


    <自分が殺されないための方法>が進化するといっても,自分が殺されない形はつぎの4つである:
      1. 隠れる
      2. 逃げる
      3. 自分以外が殺されることによって,自分が助かる
      4. 戦力を身につける

    「ロシア ウクライナ侵攻」では,アメリカと中国以外の国は,<自分以外が殺されることによって自分が助かる>を己の立場だと定めることになる。


    この立場を定めると,ウクライナが悲惨の度を増すことが,己の有利になる。
    ウクライナが悲惨の度を増すことは,みながロシアから離れることになって,ロシアの自滅の可能性が増すことだからである。

    一方,ひとは倫理をすり込まれている。
    「ロシア ウクライナ侵攻」で,ひとは倫理感と「ウクライナの悲惨の傍観者」「ウクライナが悲惨の度を増すことが己の有利」の現実の間でダブルバインドになる。

    このときひとはどうなるか?
    「ウクライナの悲惨の傍観者」「ウクライナが悲惨の度を増すことが己の有利」の意識を抑圧する。
    「連帯」をポーズし,このポーズで己を慰撫する。
    自分で自分を騙すということをするわけである。

    マスコミは,大衆の欲求の表出である。
    マスコミは,「連帯」を謳う。
    しかしマスコミがどんなに「連帯」を謳っても,ひとはこれが「見殺しの連帯」であることを認めないわけにはいかない。


    ひと昔前,「アメリカ ベトナム侵攻」で,ひとは傍観者であった。
    しかし「アメリカ ベトナム侵攻」の傍観者と「ロシア ウクライナ侵攻」の傍観者には,違いがある。
    いま押さえておくべきは,ここである。

    「アメリカ ベトナム侵攻」は,ひとが「明日はわが身」と思うものではなかった。
    「ロシア ウクライナ侵攻」では,ひとは「明日はわが身」と定めることになる。
    「アメリカ ベトナム侵攻」では「イマジン」を歌っていればよかったが,「ロシア ウクライナ侵攻」で「イマジン」はないのである。
    実際,現代人は,「アンガジュマン」のようなイデオロギーに取り憑かれることはない。


    そしてここに至って,ひとは「核保有」の意味をはっきり知る。
    核世界とは,核保有国の他は,
      《<自分以外が殺されることによって自分が助かる>だけが,
        自分が殺されないための方法になる》
    という世界なのである。

    核は,核抑止にならない。
    核が核抑止になるのは,核保有国の間の場合である。
    核の機能は, 《他の国を傍観者にできる》である。
    核保有国に対してでない核使用は,可能なのである。
    現に,ロシアがウクライナに対し核を使用することは,核によって抑止されていない。
    使用しても世界は傍観者を続けることになる。


    ただし,誤解のないよう強調するが,
      《<自分以外が殺されることによって自分が助かる>だけが,
        自分が殺されないための方法になる》
    は,人類の歴史ではこれが普通なのである。
    国は列強とそれ以外であり,後者では,<自分以外が殺されることによって自分が助かる>だけが自分が殺されないための方法になる。
    そして現代は,「核保有」が列強の意味になるということなのである。