Up 温故知新 作成: 2026-02-03
更新: 2026-02-03


    (1) 繰り返し
    ビデオデッキが現れると,
    これを使った視聴覚教育がキャンペーンされ,
    ビデオデッキとTV が教室に導入された。

    OHP が現れると,
    板書が OHPとスクリーンにかわった。

    PC が現れると,教育ソフトがつくられて,
    教室のTVに映された。
    さらにプロジェクタが現れると,
    教室がコンピュータ画面の映写室のようになった。。

    それから,インターネットが現れ,学校に LAN が敷設されていく。
    そして Padlet が導入され,授業にインターネットアクセスをどう取り入れるかが課題にされた。

    そして ChatGPT が現れると,「AI 教育」の商品が出て来る。


    (2) 市場
    テクノロジーの進化は,学校の進化になる。
    ここで進化は,系の不可逆な変化を指すことばである。
    退化も進化。

    なぜ,学校は,つぎからつぎと新しい情報メディア商品を導入してきたのか?
    学校は,情報メディア商品の大きな市場だからである。
    学校は,情報産業にとってそういう存在である。

    学校は,陳腐化した製品を貯め込んでは廃棄する,を繰り返す。
    しかしこれが,情報産業を支えることになる。
    学校は,情報テクノロジーの進化の重要な要素なのである。


    (3) 無用物
    「教育AI」 は,教師 AI を仕立てる形にはならない。
    AI に教師役は無理だからである。
    補助教員役も無理である。
    補助教員も教師であることに変わりはない。

    生徒の自学習を指導する役というのはどうか?
    これもない。
    生徒に何を教えるかわからないものは,ロジックとして,学校には置けないのである。

    よって,「AI 教育」 が学校に入る形は,教員業務の AI アシスタントの形に限られる。

    授業に関する業務では,教材作成。
    教材作成は,教科書会社が作成する「指導案例」が手本にされてきている。
    AI には,指導案を作成する能力はない。
    AI ができることは,教師から示された教材のパラフレーズとか,指導案の整形といったことである。
    しかしこれは,チャットボットに直接アクセスして行うのと同じである。,

    教員の日常業務で他に目ぼしいものは,連絡業務。
    しかしこれも,わざわざ 「教育AI」 の連絡機能を使う必要は無い。

    こういうわけで,「AI 教育」は使うものにはならない。
    学校はこれを無用物にする。

    過去に消えていった教育支援ツールのように,「AI 教育」 も短命で終わることになる。
    問題は AI にあるのではない。
    「方向違いであれ,商品になればよい」の終わり方はこんなもんだ,ということである。